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―本の紹介―『シヴァーナンダ・ヨーガ』善本社 成瀬貴良氏編訳

2012.11.24

Category { サット・サンガ }
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シヴァーナンダ11月24日

今回からシヴァーナンダ・ヨーガの二部をお伝えして参ります。スヴァーミー・シヴァーナンダジーがどの様にお弟子さん達と接したのかが伝えられています。まずは、本の著者でありますヴェーンカテーシャーナンダさんの紹介から始まります。毎月8日・24日と2回に分けてきりのいいところまでをご紹介してまいります。興味をもたれた方は『シヴァーナンダ・ヨーガ』をお読みください。

第2部
序にかえて 著者 スヴァーミー・ヴェーンカテーシャーナンダの紹介

パルタサラティ(スヴァーミー・ヴェーンカテーシャーナンダの出家前の名前)は、1921年12月2日、南インド・タンジョール地区のコイル・ヴェンニという小さな村に生まれました。父はシュリヴァーサン、母はラクシュミー・デーヴィー。たいへん憐み深い高貴な両親でした。
 幼少期から少年気にかけては、生まれながらの神聖さを示すような出来事がいくつも起こったと言います。特に、ティルパティ寺院のヴェーンカテーシャ神に対しては、子供のころから親愛と献身を捧げました。
 パルタサラティが12歳のとき、後に彼がグルとして神のように崇めることになるスヴァーミー・シヴァーナンダが書いた本に出合いました。
 パルタサラティはやがて、デリーにおいてインド政府にたいへんな影響力を持つ秘書官の私設助手としての責任ある地位を得ましたが、そうしているうちにも、自己の内部から聞こえてくる精神世界からの呼び声が高まってきて抗しきれなくなるまでになりました。
 出版物を通してのスヴァーミー・シヴァーナンダとの触れ合いは、その後、何通もの手紙のやり取りへと発展し、やがては仕事をどうにかやり繰りして、聖なる*アーナンダ・クティールへ定期的に訪れるようにまでなりました。
 グルデーヴとじかに接したパタサラティはそのすべてに圧倒され、世俗的な束縛のすべてを捨て去ることになります。約束された将来を捨て、聖なるグル、スヴァーミー・シヴァーナンダへの奉仕に生涯を捧げる決心をしたのです。
 若いパルタサラティがスヴァーミー・シヴァーナンダ信奉者となったのは、1945年(24歳)のことでした。
 彼は、精神的教えを全世界に広めるというグルデーヴ・スヴァーミー・シヴァーナンダの仕事に、自らのすべてを捧げるという強い決意を持ってアーシュラムにやってきました。事実、1945年の初めから息を引き取るまでの間、彼は人生のすべてをかけて、全身全霊を捧げてグルデーヴの使命のために尽くしました。
 パルタサラティは、1947年9月8日(26歳)、グルデーヴ60歳の記念すべき誕生日に、*サンニャーシンとしての儀式を受け、スヴァーミー・ヴェーンカテーシャーナンダとなりました。
 ヴェーンカテーシャーナンダは多芸多才な人でしたが、その偉大な才能はグルデーヴへの奉仕に捧げられました。彼はアーシュラムの精神的活動の中心人物の一人で、しばらくはグルデーヴの片腕のような時期がありました。
 グルデーヴも大変信頼され、毎朝、ガンジス河のほとりにある自分の小さな*クティールからで出ると、まず最初にヴェーンカテーシャーナンダの部屋を訪れました。そして、アーシュラムの出版物に関することやその他の事について、相談したり意見を聴くために多くの時間を過ごされました。
 ヴェーンカテーシャーナンダは、グルデーヴが1950年に行った、全国民を立ち上がらせ力強く奮起させた、あの「オール・インディア・ツアー」において、たいへん重要な役割を担った一人でした。このツアーによって、インド中の人々は神聖な息吹に触れ、精神性に目覚めました。
グルデーヴはヴェーンカテーシャーナンダについて次のように語っています。
「彼はわたしの組織の輝ける王冠であり、光輝です。彼よりも輝いている人など、他にいるでしょうか!彼は、わたしとわたしの組織において、たいへん力強く頼もしい存在です。」
 このツアーの間、ヴェーンカテーシャーナンダは、グルデーヴが各地で行った講演での言葉を一言も逃さず書き残し、後に『シヴァーナンダ講演録―オール・インディア・ツアー』という大著を出版しました。
ヴェーンカテーシャーナンダは特に、アーシュラムの通信や手紙の部門で精力的に働きました。例え夜中であっても、ヴェーンカテーシャーナンダのお陰で、さまざまな資料を借り出すことができたのです。
 アーシュラムでの彼の仕事は、グルデーヴが話したり書いたりしたことを記録することに捧げられました。来る日も来る日も、グルデーヴが強調されたメッセージや談話の編集に当たりました。おそらく今日残っているグルデーヴに関する記録のほとんどは、ヴェーンカテーシャーナンダによってなされたものだと思われます。
 グルデーヴに対する、一瞬たりとも休むことのない奉仕によって、グルデーヴの周りや組織に輝きをもたらしました。
 彼は後に『グルデーヴ・シヴァーナンダ』を書き上げましたが、この作品は単にグルデーヴの生涯を紹介しただけではなく、ディヴァイン・ライフ・ソサエティの歴史の正確な記録でもありました。それはまた、たいへんな労力と根気を必要とした参考文献でもあります。

 1961年(40歳)、スヴァーミー・ヴェーンカテーシャーナンダはグルデーヴに指名され、南アフリカに赴任しました。その頃、スヴァーミー・サハジャーナンダに導かれた南アフリカ支部の信者たちは、自分たちがさらに熱中できるよう、ディヴァイン・ライフ・ソサエティの力強い精神指導者を求めていました。ヴェーンカテーシャーナンダはそこでもすばらしい仕事を成し遂げました。そのときの報告には、「ヴェーンカテーシャーナンダは南アフリカ支部の人たちすべてを感動させ、グルデーヴの教えの旗を掲げた」とあります。
 南アフリカで何年か仕事をした後は、モーリシャス、マダガスカル、ヨーロッパの国々を回り、その後オーストラリアでの布教に力を注ぎました。
 晩年はほとんど南アフリカで過ごしましたが、本を書いたり、哲学やヨーガ、聖典の編集など、その地で再び精力的に執筆活動を続けました。
 彼は50冊以上の作品を残しましたが、それらは実にさまざまな領域に関するものでした。その中には、哲学、宗教、形而上学、倫理、自己啓発、精神的な修行、さまざまなヨーガ、グルデーヴの教え、比喩宗教、心理学、そして、『*ラーマーヤナ』、バーガヴァタ聖典、『ヨーガ・ヴァシシュタ』、『ギータ―』、『デーヴィーマハートミヤ』等の編纂があります。最後の作品は、ブッタの教えをまとめた『ブッダ‐毎日の教え』というタイトルの本でした。
 グルに対する最後の輝ける貢献は、18巻にも及ぶスヴァーミー・シヴァーナンダ著作集のための下準備でした。そのうち6巻は、シヴァーナンダ誕生百年祭を記念して、すでにオーストラリアのディヴァイン・ライフ・ソサエティ・フリーマントル支部において発行されています。グルデーヴに対してこのように見事に、そして大いに貢献した弟子は他に一人もいません。

 ヴェーンカテーシャーナンダの偉大な魂は、1982年12月2日(61歳)、南アフリカのヨハネスブルグにあるシヴァーナンダ・ヨーガ・スクールにおいてこの世を去りました。
 リシケーシのアーシュラムでは、彼のために特別な式典が行われ、スヴァーミー・チダーナンダは次のように彼を讃えました。「わたしは、わたしたちを置いて旅立っていった尊敬すべき兄弟、シュリー・スヴァーミー・ヴェーンカテーシャーナンダジー・マハーラージの聖なる思い出に敬意を表します。彼の母親は、わたしたちのことを『ラーマーヤナ』に出てくる兄弟にたとえて、年上の私をラーマ、彼をラクシュマと呼んでいました。彼は比類ないほどの多芸多才な天才であり、年代記編集纂者でした。わたしは、大いなる尊敬と敬愛を捧げ、最大の愛をもって礼拝したいと思います。彼は、子どもたち、同世代の人たち、年上の人たち、そして全ての人たちに愛されるという天性の持ち主でした。彼は宇宙的存在でした。調和の中にいました。彼の知的な仕事や、インドの精神的文化の普及、世界中の人たちへのヴェーダーンタやヨーガの科学の教示など、だれも真似のできないものです。ヴェーンカテーシャーナンダはグルデーヴ亡き後、アーシュラムと世俗間の両方から、グルデーヴの提唱された『世界の目ざめの布教』において最も頼りにされた人であり、もっとも貢献された一人でした。」
(ディヴァイン・ライフ・ソサエティの出版より)
*アーナンダ・クティール:シヴァーナンダ・アーシュラムの施設の一つ。クティールとは「小屋、部屋」のこと
*サンニャーシン:放棄した人。修行者。隠遁者。仕事・地位・財産・家族など世俗的なことを捨てて精神世界に生きる人
*クティール:小屋。小さな部屋。あずま屋。アーシュラムの宿舎。
*ラーマーヤナ:インドの2大叙事詩の一つ。「ラーマ王子の行状記」の意味。ラーマはヴィシュヌ神の7番目の化身とされる。悪魔ラーヴァナによってランカー島に幽閉されたラーマの妻シータを取り返すために、ラーマやその忠実な弟ラクシュマナ、猿のハヌマーンなどが活躍する。

コメント:指導員の一條聡美です。『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、書き下ろしをすることで、深め、学びを得ています。ヴェーンカテーシャーナンダさんがシヴァーナンダさんのそばであらゆる物事を文面化され61歳の亡くなるまでに書物として数多く世に残してくださいました。わたしたちがこうして学び続けられるのもこの方のおかげなのですね。引き続き2部も長又さんとともにインターネットを通じてシヴァーナンダ・ヨーガを紹介して行きたいと思います。こうして皆さんと共に読み、深めてゆける場があることに感謝します。
コメント:ヴェーンカテーシャーナンダさんが生涯をかけてシヴァーナンダさんに仕えてこうして書物に残すことをご自身の役割として全うして下さったおかげで時代を超えて私たちのもとへ精神的な教えが伝わっています。『バガヴァッド・ギータ』の中に“最上の者が何かを行えば、他の人々も同様に行う。彼が手本を示せば、人々はそれに従う。”という詩がありますがシヴァーナンダさんが自ら手本になって示していたことをヴェーンカテーシャーナンダさんはこの「シヴァーナンダ・ヨーガ」によってその美しい香りを放つ考えを触れた者の魂に響かせてくれているようです。引き続き二部も一緒に読み進めていきましょう。ここから最も興味深いところに入りますよ☆彡(長又)

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