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本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』

2013.05.24

Category { サット・サンガ }
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DSC_0082本の紹介『シウヴァーナンダ・ヨーガ』では、現在は専任講師であり、わたしたちをいつも導いてくださる成瀬貴良先生の名訳『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしております。
月2回、8日と24日に配信。
著者である成瀬貴良先生よりご許可をいただいております。
先生の寛大なおこころに合掌。
そして多くの方の目に触れ、心のヨーガがひろまりますように!

さて、前回の続き5章【浄化】の【欠点を指摘しても直りません】と【愛と呼ばれるもの】をご紹介します。
一部の方より、「みられない」とご連絡をいただきました。
途中が抜けているという場合の方は、原稿がございますのでお気軽にご連絡ください。お送りします。

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(P.●● )
欠点を指摘しても直りません
もし弟子に何か欠点があったとしても、グルデーヴはそのことについては目をつぶられることがよくありました。
そして、こう言うのです。「彼には欠点があるかもしれないが、とてもよい面も持っているよ」と。
 たとえ嘘をつくような弟子がいても、「おまえは真実の権化だよ」と言いました。そしてある日、その弟子は本当に真実の人となるのです。
 グルデーヴは欠点を注意するときでも、それを直接指摘することはせず、とてもすばらしい方法を採りました。それは、まず何本かのバナナが最初に来て、それからバターや蜂蜜がつづき、その後でちょっと一言いうものでした。
 バナナが消化され、バターや蜂蜜の甘みも薄れてきたころ、突然あなたは悟るのです、「ああそうか!これが、グルデーヴのおっしゃりたいことだったのか!」と。
 ほんとうに純粋な人であるならば、自分のグルに欠点や短所を指摘されたとしても、それを直して、もっと良くなろうと思うでしょう。
 しかし、気が短い弟子には、グルは直接「おまえは本当に気の短い男だね。直しなさいよ」などとは言いません。そんなことを言ったとしても、すぐに短気が直ったり純粋な性格になることはないからです。むしろほとんどの場合、その人の心はたちまちかき乱されることでしょう。何が心をかき乱すのでしょうか。それは気が短いという性格です。
 薬が大嫌いなのに飲めと言われたとしましょう。特に心理的作用のある薬の場合、無理に飲んだとしても、きっと何の効き目もないでしょう。それと同じです。
 もし、あなたがだれかに何かを言い、そのためにその人が泣き出したとしたら、それはコミュニケーションが失敗したことを意味しています。その人はもう、あなたの言うことを聞こうとはしなくなるでしょう。そうなったならば、もうその人を導くことなどできません。涙はそれ自体「どうかもう2度とそれを言わないでください」ということを意味しているからです。
 このようなやり方は、グルデーヴの性格とは相容れないばかりでなく(グルデーヴはいつも、決して人の気持ちを傷つけてはけません、と言われていました)、だれかにそうするように強制されたとしても、きっぱりと拒絶されたでしょう。
 欠点を指摘したとしても、決してその人の欠点を取り除くことは出来ません。涙が彼を盲目にしてしまい、自分の欠点を見ることができないからです。涙でいっぱいになった眼では、眼の前にあるものも、自分の内側にあるものも見ることができません。自分の内面の欠点を見極めるには、しっかりとした冷静な心が必要なのです。
 あなたはすでに、自己浄化や自己実現の難しさ、弟子を導くことの難しさがお分かりの事と思います。あなたが取り組んでいるのは、感じたり考えたりすることのできる生きた人間なのです。
 精神世界を歩むことを志した人は、悪意を持ったりするべきではありません。ブッダはそのような人のことを「ウナギのようにくねりながら進む」と、とても面白い表現で表しています。そのような人はまっすぐではなくて、くねくねとくねりながら進んでいるのです。彼の中の何かがこのことを見ていないのです。欠点を指摘されたとしても、反対に回りの人たちの方が間違っていると思うことでしょう。
 もしだれかに、「きのう、あなたは喧嘩をしていたでしょう。それはよくないよ」と言われたならば、おそらくこう言い返すのではないでしょうか、「なぜ相手にも言わないんだ。喧嘩をしかけてきたのは彼の方なのに!」と。
 こんな気持では、大切な精神性を追いやってしまうことになってしまいます。

愛と呼ばれるもの
 グルデーヴのヨーガは、総合的なヨーガでした。弟子たちに変化が起こるとするならば、この次にはこれというのではなく、いくつもが同時に起こると考えていました。
 しかし、すっかり変わるまで弟子を導くには、限りない忍耐が必要でした。そして、その限りない忍耐は、まさしく愛と呼ばれるものでした。
 グルデーヴは、決して弟子に対して希望を失うことはありませんでしたが、弟子の方はしばしば、自分自身に失望することがありました。しばらくして彼らはまた気を取り戻すのですが、グルデーヴはどんなときでも、平静さや希望を失うということはありませんでした。このようなことを、グルデーヴは40年間も絶え間なくつづけられたのです。

 1940年代の後半、ほとんどジョークのように語られていたことがありました。それは、「もしだれかがグルデーヴに、他のだれかの不平や悪口を言ったとしても、グルデーヴはまったく信じようとはなさらないだろう」というものです。
 わたしたち弟子の間でも争いというものがありました。しかし、グルデーヴの眼の前で平気で喧嘩をするような人などいません。グルデーヴがいないときを選んで喧嘩していたのです。その結果、もしだれかが相手への不平や悪口をグルデーヴに言ったとしても、「ああ、そうなのかい」と答えるだけで、まったく信じようとはしませんでした。なぜならば、グルデーヴ自身がその目で見たわけではないのですから。もちろん、グルデーヴの眼の前で悪いことをする弟子など1人もいませんでしたが・・・・・。
 以前、だれかが、アーシュラムでたばこを吸っている人がいるという不満を口にしたことがありました。グルデーヴ自身、それが事実であると分かったとき、グルデーヴが行ったことは、まずたばこの害に関する記事を書かせることでした。 
 たとえば、タバコを吸っているという弟子がタイピストであったならば、グルデーヴはその記事を彼にタイプさせました。面と向かって喫煙を注意するということはしませんが、タイプをしているとき、その内容が確実にその弟子の心の中に入り込んでいったのです。
 あるいは、だれかにタイプさせ、それを夜の*サット・サンガのときに持って来させました。そこでグルデーヴは言いました。
「ムクンダ。この記事を打ったのはお前かい?」
「はい、そうです。スヴァーミージー」
そして、まるで偶然であるかのようにしてこう言いました。
「では、これを彼に読ませなさい」
こうして、タバコを吸った弟子は大勢の人たちの前でその記事を大声で読まなければなりませんでした。
「タバコはやめなさい。とても危険です。肺やその他の器官におおきな害を与えます。ですから、ただちにタバコをやめなさい!」
このような形で弟子は忠告されたのです。
 グルデーヴはしばしば、弟子の一人に、皆の前で何かを語るよう言われることがありました。たとえば、もしその弟子が気の荒い性格であったならば、皆の前で怒りについて何かを語るように言いました。サット・サンガの席で、その弟子は怒りがよいことなどと話せるはずがありません。
 精神世界を歩む弟子は、絶対に平静さを保ち、忍耐強くよくならなければならないと語るしかありません。そのように話しつづけることによって、必然的に自分に言い聞かせることになるのです。
 このように、どんな弟子でも、グルデーヴはなにか注意されるときには、直接非難されるということは決してありませんでした。
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*サット・サンガ:精神世界を歩む人たちの集い。アーシュラムの中で最も重要な行事であり、スヴァーミー・シヴァーナンダが最も大切にしていたもの。アーシュラムに滞在する者が一同に集まってグルの話を聴いたり、聖典を学んだり、マントラやキールタンを歌う。
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コメント:欠点は指摘してもなおらない。確かに。他人の指摘ではなく自らが改善しようと思わない限りは何も変わらないものです。それでも相手への希望を失うことなく愛情をもって接してゆくことでいずれは変わる、そう信じて辛抱強くかかわってゆきたい。シヴァーナンダさんの深い愛によって弟子たち自らが変わっていったように…。

コメント:はい。シヴァーナンダさんのおっしゃる通りです。「欠点を指摘しても直りません」この頁は何度も読みました。日常このような場面に遭遇するからです。読んでは心に留め、また薄れてきた頃に読み返す機会がやってきて、こうして『シヴァーナンダ・ヨーガ』を書き下ろすという作業を与えて下さったことでシヴァーナンダさんの言葉に何度も触れることができます。愛に触れ周りに優しさが拡がりますように☆彡 

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