トリャンバカム・ヨーガ・センターについて ヨーガ クラススケジュール 料金について よくあるご質問と体験者の声 アクセス/コンタクト 講師プロフィール
news/blog
お知らせ
YOGA生活
支援活動
レッスン前の話
クラスの様子

live-life-yoga


本の紹介 『シヴァーナンダ・ヨーガ』善本社 成瀬貴良氏編訳

2013.11.24

Category { サット・サンガ }
Comments  { 0 }

本の紹介『シヴァーナンダ・ヨーガ』では、わたしたちをいつもあたたかく導きくださる成瀬貴良先生著、『シヴァーナンダ・ヨーガ』(善本社)の本文全てをそのままタイプしお伝えしております。 月2回、8日と24日に配信。 著者よりご許可をいただいての配信。 多くの方の目に触れ、心に触れ、奉仕慈愛の心「SERVE」「LOVE」「GIVE」からはじまる愛のヨーガがひろまりますように!
今回は、14章「いつも神を思う」から〈心のバックグラウンドの重要性〉、〈あらゆることを少しずつ行う〉〈ヨーガにゴールはない〉をお伝えします。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

14 いつも神を想う
心のバックグラウンドの重要性
グルデーヴは、「Background of thought」(心のバックグラウンド、心の背景)は心理的にも精神的にもとても大きな影響力を持っている、ということを確信されていました。さらに、人生におけるあらゆる問題を解くのにたいへん重要であると考えられていました。

あるとき、この国の実力者の一人がグルデーヴに会いに来たことがありました。
その実力者は45分ほど、世界の状況と現在のこの国の状況とを熱心に語りました。グルデーヴは相手の話を中断させることなく、時々、「フムフム」とだけあいづちを打っていました。
彼は話し続けました。
「スヴァーミージー。ますます成長していく現在の社会情勢と、低下して行く我が国の情勢とをお聞かせしましたが、何か解決策はないものでしょうか。私達は何をすべきなのか教えてくださいませんか」と。
彼は少なくとも30分ほど、スヴァーミージーが何か素晴らしい回答をしてくれるものと待っていました。しかし、スヴァーミージーはただこう言っただけでした。
「ラーマの名前を繰り返し唱えなさい。解決策はそれだけです」と。
スヴァーミージーの答えは決して冗談などではなく、真剣そのものだったのです。
どんな問題であっても、それは心が創りだしたものなのです。心は、断片的・部分的なことしか考えないからです。
もし、わたしたちが今、考えていること・情緒・経験・出来事などをフィルムのように一つ一つ冷静に見ることができたならばきっと、今よりもずっと対処しやすくなるでしょう。今までの記憶や想像などによってそれらを大きくしてしまい、見えづらくしてしまっているのは、心のせいなのです。
「心のバックグラウンド」の中に、神の意識の中に、ジャパを唱えている気持ちの中に、瞑想状態の中に、それらを封じ込めておくことによって破壊してしまいなさい。そうすれば、しばらくの間は現れないでしょう。
たとえば、わたしが瞑想状態にあったならば、他の人が私の名前を聞いたとしても、「スヴァーミー・ヴィヴェーンカテーシャーナンダです」「何歳ですか」「59歳です」「結婚していましたか」「いいえ」「お子さんはいらっしゃいますか」「いいえ」と、これで終わりです。
ぶっきらぼうになったり、無作法になったりせず、その要点だけを答えるのです。答えたならば、また「心のバックグラウンド」に戻るのです。
人生における経験のすべてを、このように扱うことができれば、さまざまな問題も簡単に処理することができるようになるでしょう。
人生においては絶えず問題が起き、また消滅していきます。人生には問題はつきものです。しかし、どのような問題が起きたとしても、それは解決されるのです。私達が神の意識から離れている時にだけ、優柔不断になったり、ぐずぐずと解決を引き延ばしたりしてしまうのです。
「何か行った方がよいのだろうか?しないほうがよいのだろうか?これは正しいのだろうか?正しくないのだろうか?」
このように迷っているうちに、その問題は千倍にも膨れ上がってしまいます。わたしは、グルデーヴが迷われているところを見たことなど一度もありません。グルデーヴは問題が起きると、それを注意深く観察し、じっくりと考えました。しかし、実行に移す時には、たいへん迅速でした。

あらゆることを少しずつ行う
よく、*ヤマや*ニヤマを確立する前に瞑想は出来ないとか、試みても無駄であるとか、危険であるといわれています。しかし、スヴァーミージーがほんとうにそれを受け入れていたとは思えないのです。
スヴァーミージーはユーモアを交えて良く次のように語っていました。(スヴァーミージーはわたしたちに何か厳格な大切な事を言われる時にはいつも、たいへん面白おかしく語ってくださいました)。
「わたしたちが瞑想を始める前に、ヤマやニヤマを確立するのを待っていたら、結局は瞑想などできなくなるだろう」と。
なぜならば、わずか数回の転生において、わたしたちがヤマやニヤマを完全に成し遂げることなど不可能だからです。
ヤマの中の一つの項目、たとえば*アヒンサーだけでも完全に行おうとしたら、いくつかの転生が必要となるでしょう。また、*サティヤを守るだけでも、別のいくつもの転生が必要となるでしょう。そうこうしているうちに、最初のアヒンサーはどこかに行ってしまします。
インドの伝統によれば、わたしたちは、ヤマ(あるいはニヤマ)のある項目を12年間継続しなければ、それはその人のうちに確立されていないといわれています。もし、11年11ヶ月の間きちんと実践していても、次の朝、蚊を殺してしまったら、今まで積み重ねてきた徳が消滅してしまうのです。そして、そこからまた新たに、12年間継続しなくてはなりません。ヤマやニヤマに挙げられている項目のうち、1つでもそれを確立するためにはいったい、どのくらいの年月がかかることでしょうか。
ですから、スヴァーミージーは、ヤマやニヤマが確立されるのを待つかわりに、*アーサナーや*プラーナーヤーマ、*プラティアーハーラなどを行うようにと指摘されたのです。これらすべての実践を同時に行うことが、より素晴らしい方法なのです。
ヤマやニヤマ無視してもよいなどと言っているのでは決してありません。それと同時に、ジャパや瞑想、プラーナーヤーマやアーサナも行うのです。あらゆることを少しずつです。一つのことが他のことを助けてくれることがあります。そうして、わたしたちは共に調和し、共に成長して行くのです。これがグルデーヴの考えでした。
すべての実践をしっかりと理解することが重要です。カルマ・ヨーガやバクティ・ヨーガも、また、ヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナーヤーマ、サマーディも、機械的になってはいけません。これら本当の精神や意味を理解し、何か特別な動機づけや目的を持たないようにしてください。

ヨーガにゴールはない
あなたは、人生のゴールは「神の実現、神の存在を悟ること」である、ということを聞いたことがあると思います。スヴァーミージーもまたそのような表現をされていました。しかし、もしあなたがそれを、神を現実化することを意味していると理解したならば、それはまったく違います。
たとえば、とても暗い部屋に入ったとしましょう。どこに机があるのかまったく分かりません。しかし、ライトのスイッチを入れれば机は見えるようになります。そのライトのスイッチを入れることが、ヨーガを表しているのです。スイッチを入れるということは、机をつくり上げるということではなくて、たんに現実化されるだけです。机はずっとそこにあったのです。
ですから、神は現実化されるものではないし、それが人生のゴールになることでもないのです。
ヨーガには、「もうこれでよい」というゴールはありません。『*ヨーガ・スートラ』の中で*パタンジャリは、わたしたちが行うことは、意識の自由な流れを妨げているものを、単に取り除くよう試みているにすぎない、と語っています。
『バガヴァッド・ギータ―』第6章の中で、クリシュナも「人は自己を浄化するためにヨーガを行う」と語っています。
あなた自身を浄化できたときに、真実は、いつでも、どこにでも(あなたの中にもまた)、何の困難もなく現れるのです。つまり、明かりさえつければよいのです。何が現れるかは考えなくてもよいのです。
ヨーガは、いつ、どこででも実践されなければなりません。1週間に1回であるとか、1日のうちの1時間というものではなく、わたしたちの一生を通じて行われるべきものなのです。
これが、グルデーヴ・スヴァーミー・シヴァーナンダの教えでした。

◇◇◇下線部解説◇◇◇
*ヤマ: 禁戒。『ヨーガ・スートラ』のアシュターンガ・ヨーガの最初の学習。5つの戒(非暴力・真実・禁欲・不盗・不貧)からなる。
*ニヤマ: 歓戒。『ヨーガ・スートラ』のアシュターンガ・ヨーガの一つで、5つの戒(清浄・満足・苦行・読誦・自在神祈念)から成っている。
*アヒンサー: 非暴力。負傷害。不殺傷。『ヨーガ・スートラ』におけるヤマの1項目。
*サティヤ: 真実。正直。『ヨーガ・スートラ』におけるヤマの項目の1つ。
*アーサナー: 本来は「坐、坐法」の意味であるが、さまざまなポーズを指す。『ヨーガ・スートラ』のアシュターンガ・ヨーガの一つであり、ハタ・ヨーガの重要な実習。
*プラーナーヤーマ: 調気法。呼吸法。呼吸を通してプラーナを身体に取り入れる方法。『ヨーガ・スートラ』のアシュターンガ・ヨーガの一つであり、ハタ・ヨーガの重要な実習。
*プラティアーハーラ: 制感。感覚器官のコントロール。『ヨーガ・スートラ』のアシュターンガ・ヨーガの一つ。
ヨーガ・スートラ: インド正統六派哲学の一つ、ヨーガ学派の経典。
*パタンジャリ:  『ヨーガ・スートラ』の編纂者といわれる。

コメント:あらゆることを少しずつ行う。今回の書き下ろしの中でとても好きな章でした。
わたしたちはヨーガの学習を含め、さまざまな学習や経験をしています。そうした1つ1つの学習が時に他の学習の助けとなります。ひとつひとつは完璧でなくとも経験や学習の積み重ねがわたしたちの心の調和や成長にもつながるのかもしれません。いま、こうして皆さんと共に学ぶ場があることがうれしく感じています。

コメント:心の中にある純粋性をいつも感じていることができたなら、揺れ動く心に支配されず変わらずにあり続けるものを見ていけるのですね。ひと波去ってまたひと波…「これでおしまい」がないから、用心深く観察して心をそこから離してはいけない。身体も心も淀みなく透き通っていたなら自然と純粋な部分だけでいられるのかもしれません。シヴァーナンダさんがおっしゃるように、「人は自己を浄化するためにヨーガを行う」ことを一緒に実践してみましょう。

前のページへ戻る

コメントをどうぞ