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18.10.31

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神とともにある人生にある二つのことば。
デタッチ — リタッチ
世界から切り離して — 主に着いて

Divine Life
「ディヴァイン・ライフ・ソサエティ」として広く知られるシヴァーナンダ・アーシュラムは1936年に設立されました。グルデーヴ49歳のときです。医師だったクップスワミが無一文で、神聖な輝きに満ちた「家」のビジョンをという神の導きだけを頼りにパリブラージャガ(遊行の旅)に出てから13年が経過していました。
驚くべき速さで発展したアーシュラムには世界中から信者や求道者がやってきました。求道者が「ここでどれくらい修行すればよいのか」と尋ねます。シヴァーナンダは一生が修行であると言ってアーシュラムの日々を伝えます。
「あなたはここで他への奉仕を、愛することを、与えることを、純粋になることを、瞑想を、そして悟りを学びなさい。良くなりなさい、そして善いことをしなさい。あらゆるものに同情しなさい。すべては一生涯を通して実践されなければなりません。」
これは、今日シヴァーナンダ・アーシュラムのスローガンになっています。

何かをし続けようとするのがエゴです。寺院に行くこと。坐ること。瞑想すること。アーサナやジャパ、プラーナーヤーマを行うこと。私たちは、これらのサーダナに関してはとてもエゴイスティックです。そして、もし「そんな規則など従わなくてもよい」と思うならば、それもエゴです。もちろんサーダナがを続けることがエゴを大きくすることもあるでしょう。「私は1日たりとも欠かさない」「わたしは毎朝3時間も瞑想している」という風に。
サーダナ・エゴを捨てるためにサーダナを放棄したとしても、エゴイズム以外何も残りません。
「エゴイズム」プラス「サーダナ」方が、「エゴイズム」マイナス「サーダナ」よりもましなのです。

Detach – attach
ヨーギーならば、あらゆるものの中に神を見るように努力しなくてはなりません。あらゆるものの中に神を観たいと願いながら、名のあるもの、形あるものの中に神を見いだすことを拒絶するならば、それは放漫です。それがあなたのエゴです。あらゆるものの中に神を見いだそうとすると、何度も何度もわたしたちは自分のエゴに突き当たることになるかもしれません。
しかし、エゴと直面することの価値を認め、エゴを見つめるためにヨーガを行なっているのだ、ということを忘れなければ、日常はすばらしい学校です。すべての人が、できごとが先生です。日々はすばらしい修行の日々です!

この世に取り除いてよいものだと何一つありません

Tryambakam Yoga Center


18.10.30

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仕事は良い精神でなされるとき瞑想です。

雨や水は熱い夏の時期、雲の中に閉じ込められていますが、やがてあちこちで新しい生命の到来を告げるためにたくさんの雨として再びこの地上に降り注ぎます。
同様に、一所懸命に学んで蓄えてきた理論や哲学のすべてを活動的、行動的なものへ。今この瞬間、この日から実践的、精神的なサーダナ(修習)として始めます。心の中に新しい波長があるです。生み出しましょう。
あなたが今までに学んでヨーガの勉強を通して読んだり、聞いたり、見たり、習ったりしてきたものを、途切れることなくほとばしり出る宇宙的な愛に変えていくこと。絶えることのない愛や奉仕や祈りに変えていくこと。そうやって、あらゆるものの中に存在する神を礼拝しましょう。

Work
スヴァーミ・シヴァーナンダの弟子のスヴァーミー・サティヤナンダは私たちは二つの仕事をすると言います。生きるための稼得としての仕事と、もうひとつは、あなたが求めることへ向かっていく仕事と。
そして仕事は毎日すべきで、与えられたものに対するあなたの姿勢だと、スヴァーミ・シヴァーナンダは思考は人生を左右するから、与えられたものに対するあなたの肉体(行為)を軽率に扱ってはいけないと言います。心は肉体の目に見えない形です。肉体(行為も)は心の思考が外側に表れた姿です。
グルデーヴ師は日々の教えの最初に信仰心を挙げています。

1.信仰心
大いなる神を完全に信じなさい。聖典や聖者の言葉を信じ、自分自身を信じなさい。純粋に信じる心はすばらしい働きをする。
ひとつの石を池に放り込むと落ちた場所から同心円の波紋が起き、周りに広がっていくように、ろうそくの火も、ろうそくの炎から全方向に同心円の波動が広がり平等に照らす。これらと同様に、良い考えであろうと、悪い考えであろうと、心の中に思考が生じると、それは精神的な身体の心(マナス)に振動を引き起こし、すべての方向にあまねく広がるのです。
ゆえに、ひとつの何を放り込むか、なのです。

素直さ が日々の教えの次に続きます。寛容さ、受け入れるということでもあります。

2.素直さ
あなたの両親、導師の教えに従いなさい。兄弟姉妹に従いなさい。敬意よりも素直で従順な方がさらによい。素直であれば偉大な人として輝きを発揮でき、成すべき物事に成功できる。
と。
たとえ面白くなくても他人の話をよく聞き、イライラしたりプリプリしないようにして聞いていれば、あなたの意志は強くなる。他人の心の動きが分かってくる。
すべてが大いなる神からのメッセンジャー(お使い)だ。

meditation
瞑想に入る準備や段階、方法というのは瞑想ではなく準備や方法なのです。瞑想はあるひとつに没入して、我という思いなく集中された状態です。ひとつの対象と一体となっている状態であり、姿です。
ヨーガは瞑想へ道のりを事細かに説いていますし、ハタ・ヨーガは健康面のことも扱いながら、瞑想への道を事細かに説いています。

集中状態にゆだねることができるように、すべてを神にゆだねられるように、これまで自分に起こってきたことはすべて神の意志によって起こったことだと理解されていくこと。心配なく、怖がらず、神経質にならず信じられたとき、ゆだねられることは最高の祈りとなって、あなたには平静な静けさが広がるのです。平和が訪れ、神の恩寵がシャワーのように降りそそがれるのです。

Tryambakam Yoga Center


18.10.29

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欲望がなく、憎しみや妬みから解放されている人はハッピーです。

happy
幸福な生き方を説く『バガヴァッド・ギーター』に、人間は何に駆り立てられて罪を行うのか。望まないのに。いわば力で強いられたように(3-36)
「罪」は行なわないとしても、何かに駆り立てられるように忙しい毎日です。いったい何に忙しいのでしょう。また「罪」とはいったいどんなことを指しているのでしょう。
罪はパーパと言います。「悪いなぁ〜」と思いながら、またいやいやする、不吉なことを心配して口にするだけではなく、思うこともこのパーパ。
良いことだと思っていてもできない。悪いと思っていても止められない。

free
がんじがらめに強いられているものからフリーになりたいものです。がんじがらめに私たちを覆うものを、大食漢で敵だと『ギーター』は説きます。
・怒りはラジャスグナから生まれたもので、大食漢で大きな罪である。それが敵であると知れ。(3-37)
・火が煙に、鏡がホコリに、胎児が羊膜に覆われるように、この世はそれ(ラジャスグナから生まれる怒り)によって覆われている。

hatred and jealousy
憎しみや嫉妬。怒りはどこからやってくるのか。怒りはクローダと言います。ラジャスグナから生まれる欲望です。
・感覚器官から受ける対象を考えると執着が生じ、執着から欲望が生じる。欲望から怒りが生じる。怒りから思い込みが生じ、思い込みから記憶の喪失が生じ、記憶の消失から知性の破壊が生じ、知性の破滅が生じる。(2-62〜63)

仏教でも三毒があります。三つの怒りは毒になりますよ、と「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」を説いています。それぞれサンスクリット語の①ラーガ…迷いの生存の根源としてのむさぼり。②ドヴェーシャ…いかり。腹立ち。にくしみ怒ること。うらみ。③モーハ…おろかさ。ものの道理のわからぬこと。愚かな心の暗さ。

グルデーヴは言います。
エゴはラーガ・バヤ・クローダから構成されています。
ヨーガは「あらゆるものがひとつである」ということを悟ることなしにはできません。「執着や恐怖や憎しみを放棄した」というごまかしを演じている限り、無私の行為(カルマ・ヨーガ)をすることは不可能です。
私たち人間が、ラーガ(愛着)・バヤ(恐怖)・クローダ(憎しみ)の三つの要素を持って生まれてきたということは心理学者たちによっても明らかにされています。これは、あらゆる人間がこの三つの要素を内面に持っているということです。或いは自己というのは、これら三つの要素で構成されているということでもあります。
この三つの要素は年を経るにつれてますます大きくなっていくことも知っています。私たちの中で形つくられていくからです。ですから子どもの方が大人よりも恐れを知らないのです。子どもは瞬間的に執着したり、瞬間的に怒ることはありますが、大人のようにいつまでもそれに執着していることはありません。
「罪というのは、ちょうど赤ちゃんが成長していく過程において過ちを犯してしまうようなものだよ」
「求めてはいけないよ。断ってもいけないよ。」


Tryambakam Yoga Center


18.10.24

Category { トリャンバカム・ヨーガ・センター盛岡 }
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