愛と奉仕に生きた聖者の教え『シヴァーナンダ・ヨーガ』
前回11月24日は、聖地でのグルとの出会いから正式な僧となり、『クップスワミ』から、聖者の名、『スヴァーミー・シヴァーナンダ・サラスヴァティ』に変わり、彼の言葉でグルや聖地のことを紹介するところまでをお伝えしました。今日12月8日(毎月8日、24日)は、彼の行ったサーダナ、つまり彼自身が行った修行、実践の内容について『シヴァーナンダ・ヨーガ』よりお伝えたいと思います。
(毎回きりの良いところまでを紹介しますので、興味を持たれた方は「シヴァーナンダ・ヨーガ」をお読みください。)
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前回のつづきです。(11月24日のブログです)
サーダナ
リシケーシにやって来たシヴァーナンダは、せめて雨をしのげ、神の名前を歌える場所があれば十分だと思っていました。しかし、修行の場所は、大勢の人びとや巡礼者がいるところからある程度離れているところでなくてはなりません。その結果、リシケーシの町から少し離れたコールガートというところを選びました。給食所は3キロも離れていましたが、雨の日も晴れの日も、4枚のチャパティとダールを貰うために往復しました。
彼にとっては修行の時間が最も大切であり、少しでも怠けたり、無駄に時間を費やすことは苦痛でした。カーリカンリワーラーという布施所ではスヴァーミーたちに月に2度の割合で散髪のチケットを与えていたのですが、シヴァーナンダは散髪の時間も惜しくなり、髭は伸び放題になってしまいました。
シヴァーナンダはやがて、コールガートからブラフマーナンダ・アーシュラムに移りました。(ブラフマーナンダ・アーシュラム現在のアーシュラムの近くにありました)。アーシュラムの部屋は荒れ果てていましたが、そこからはガンジス河や遠くにヒマーラヤを見ることもできます。この頃のシヴァーナンダは、病人を治療するとき以外は全く世間から離れ、頻繁に神秘体験を経験した時期でもありました。
部屋の三方の壁は石を積み重ねただけのもので、大きな樹の枝が屋根の代わりをしているというような、決して充実した施設とはいえませんでした。虫や爬虫類もたくさんいます。シヴァーナンダはしかし、このアーシュラムが大変気にいっていました。そこから二、三分も歩けばヒマーラヤの深い森で瞑想することができ、誰に邪魔されることもありません。
友人たちとくだらないおしゃべりに耽るということは決してありませんでした。布施所に行くときもマウナ(沈黙の行)を守り、人と会わないようにジャングルの中の小路を歩きました。
修業はしかし、自己本位な目的を達成するために行われるべきではありません。他人への奉仕も立派な修行の一部です。しかも人への奉仕は厳しく、決して楽なものではありません。ときには犠牲も伴います。
彼はある日、栄養失調で弱り切ったサードゥを見かけ、とても心を痛めました。そこで思い出したのが、マレーシアで働いていたときに蓄えたお金です。彼は早速手紙を出してお金を送ってもらい、身体の弱っているサードゥたちのために使いました。彼は薬や食べ物を入れた袋を担ぐと、病気や栄養失調で弱っているサードゥたちを助けて歩きました。袋を担いで人々を助け歩くスヴァーミーはリシケーシの名物になりました。
それを見ていたスヴァーミー・カイカラーナンダという聖者が、シヴァーナンダの中に病人に対する奉仕の精神が根本的に備わっていることを見抜き、慈善的な施薬所をはじめてはどうかと提案しました。シヴァーナンダは快く受け入れ、“サティヤ・セーヴァ・アーシュラム・ディスペンサリー”という名前ではじめられることになりました。
シヴァーナンダは語っています。
「病人や貧しい人、聖者に奉仕することによって、心は純粋になります。それは憐みや同情や寛大さを育ててくれ、エゴ、自己本位、憎しみ、怒り、プライド、嫉妬などをなくしてくれます。聖者や修行者や貧しい村人は薬を買う余裕がありません。そこでわたしは、聖地バドリナードに行く途中にある*ラクシュマン・ジューラーで、小さな施薬所をはじめたのです」
聖地バドリナートへの道は非常に険しく、多くの危険を伴う巡礼者のために、彼はいつも薬を用意していました(彼は1934年にスヴァルガ・アーシュラムを去りますが、この施薬所はかつて医師だったスヴァーミー・ジニャーナンダに譲られました)。
ある夜、バドリナートに行くという1人の巡礼者が訪ねてしばらく話をした後、薬を受け取って宿舎に帰って行きました。しかしベットに入ってから、彼のために特別に調合した薬を渡すのを忘れていたことに気づき、それが気になって気になって仕方がありません。
翌朝、まだ夜も明けないうちに巡礼者が泊まっている宿舎に薬を持っていったのですが、すでにバドリナートに向かって出発したあとでした。シヴァーナンダは迷わず追いかけることにしました。しかし、行けども行けどもなかなか見つからず、結局、何キロも追いかけてやっと薬を渡すことができました。夜明け前にクティールを出たのに、すでに九時を回っていました。その巡礼者は、薬を渡すために険しい道を何キロも追いかけて来てくれたシヴァーナンダに何度も何度もお礼を言いました。
シヴァーナンダは語っています。
「常に奉仕をする機会を見つけていなさい。決してその機会を見逃してはいけません。自分自身で人々に奉仕する機会をつくらなくてはなりません。奉仕する機会を待つのではなく、つくらなくてはなりません。そして、どうかあなたの気質や能力や性格に合った方法で行ってください。奉仕は積極的でなくてはなりません。助けを必要としているなかには時々それを拒絶する人もいますが、そのような場合は、求められていることだけを行ってあげてください」
*ラクシュマン・ジューラー:シヴァーナンダ・アーシュラムよりガンジス河を数キロ上流にさかのぼったところにある吊り橋。
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『シヴァーナンダ・ヨーガ』を読み、深めているSatomi です。記事として書き落とすことで更なる学びを得ています。
今回、シヴァーナンダさんの伝えた言葉のなかで「奉仕する機会を待つのではなく、つくらなくてはなりません。…」という箇所が特に心に残りました。今年は、大震災があり、たくさんのボランティア活動をする方々の報道を多く目にしました。奉仕について考えさせられた年です。直接現地へ行かなくても、本来、あらゆる形で奉仕する機会はあるのです。しかし、「何もできない」「何をしたらいいのか」と、もどかしさを感じながら、何もできずにいる…という声もよく耳にしました。このシヴァーナンダさんの言葉は、現在の震災後の状況と重なる言葉でした。奉仕をする機会が訪れるのを待つのではなく、自分の気質や能力や性格にあった方法で積極的に奉仕する機会をつくることが大切なのですね。
一緒にこのページを担当し学びを受けている指導員の長又です。
サーダナとは「修行・実践・達成」などの意味があります。ヨーガ・サーダナとは「ヨーガの修行」、つまり「断続の行による気付きと分別」を指します。シヴァーナンダさんは「」毎日欠かさずヨーガを行じなさい」と弟子らにいつも言い、ご自身も日々のヨーガ・サーダナを大変大切にされました。そして加えて言っています。「他人への奉仕も立派な修行の一部だ」と。この項の中で、弱っているサードゥ達の為にマレーシアで働いて蓄えたお金を全て使い果たしてしまいます。自分は4枚のチャパティ(インドの薄いパンの様なもの)を貰う為に3キロ離れた給食所を毎日往復し、それだけで毎日過ごしたと言います。(成瀬貴良先生『インドの叡智』講話より)こうして人に奉仕することは、心は純化し、相手を慈しむ同情の心や共感する歓びの心(寛大さ)が自然と育まれるといいます。自我(エゴ)、憎しみ、怒り…を無くさせてくれる行為だと。心に留めておきたい教えです。そしてsatomiさんがこの項で強く印象に残った部分『常に奉仕する機会を見つけなさい~奉仕する機会を待つのではなくつくらなくてはなりません』は、≪今≫の私達の心に浸透しピュアな自分に戻してくれる手段を教えてくれているようです。シヴァーナンダさんの教えを通して今を大切に、共に向き合っていきましょう☆
(vol.4の続きです)
そしてまっすぐ小本へ。
14時40分 小本到着。小本役場へご挨拶をし、ちらしを配ります。100世帯に1件1件、顔を見せていた抱き合いながらの配布、意外と時間がかかりました。そして、この日の寒いこと!寒いこと!!風が強く、雪が舞った後です。手袋をして来なかった手が凍りそうで、配布のプリントを持てませんっ。
・・・っ(笑)メヘンディーをしてみましたっ。あ、アームウォーマーにもなるわん♡と、寒さも楽しむ。
16時 小本出発
16時30分 岩泉役場で挨拶。すっかり遅くなりました。これから岩泉団地にも、明日のお知らせも含めたチラシを配ります。すっかりあたりは暗くなってきました。
17時 お知らせのちらし配布終了です。
糸ばた工房へ。東京から、たくさんの荷物が届いていました。みなさんからの物資です。物資やら、おりの材料やらで工房はダンボールだらけです。タイコさん(工房をきりもりされている方です)は腰が悪いので、私達が活動に伺った際に、一揆に掃除です!!
17時半 あっけら館着。
「はいっ、ほいっ、それっ・・・」と、なかなかいいコンビネーションの二人。
ヨーガのおかげとは言え、なかなか怪獣!?な二人です。
たまげた体力です。
一息といきたいところですが、智子は小本団地へ夜ヨーガに出発。小林真樹子さんはたくさんの物資を仕分け、明日の物資配給の準備です。
明日の朝は、岩泉団地の方があっけら館に来るという初めての企画。徒歩10分です。早朝に朝ヨーガ、インドの朝食。編み物説明会に物資の配給です。
今日一日あっという間です。
シヴァーナンダさんの声や聖なる祈りに包まれっぱなしの今日でした。
お風呂に入って休みます。
24時になりました。
すばらしい一日。
明日へ・・・おやすみなさい。
瞑想の時間が心地よく流れ、互いに知らぬ間に幸せの床へ。。。
【12/23〜12/25「東北にこころの灯をともす会」いわてボランティア募集!】
第8回、今年最後のボランティアツアーとなります。
岩泉の皆さんが心温かく年が越せるように仮設を暖めに行きましょう!
前回の「ヨーガとインド朝食の会」では朝から昼ごろまで、ご飯を食べながら、編み物をしながら
ゆったりと時間をとって仮設の皆さんとお話ができました。
これまでは体のここがイタイなどヨーガの感想程度でしたが、
最近感じていること、今してみたいこと、困っていることなどさまざまなお話をしていただけました。
これだけでも価値ある時間となったと思います。
世間話にすぎない会話の中にも、刻々と変化する仮設の暮らしの問題、仕事の問題、人間関係の問題。
様々な問題をそれぞれが自分のなかに抱えていることが判ります。
でも心の引っ掛かりを吐露した時点で心労の大半が消えていることがあります。
そして問題を共有できると、どうしたらよいかねとみんなで探ることができます。
重要なのはひとりで抱え込まないようにする環境つくり。
本当にいま、住民、自治体、支援者それぞれのアイデアと行動力に掛かっています。
私達自身が課題と解決策を探り、自分たちで継続できる活動を始めていく。
被災地みんなと一緒になって前へ進んでいく、それぞれの出来ることを出来る範囲でやってみる。
これまでも被災者とみんなの心のつながりが、
確かな心の拠り所、一歩を踏み出す原動力となることを感じてきました。
ひとつづつ、みんなで一緒につづけましょう。
また、被災地をまだご覧になっていない方、静かにゆっくり三陸沿岸を廻れる良い時期です。
このツアーでは宮古・田老・小本・田野畑のそれぞれの状況を定期視察しています。
その目でこの被害と復興の現実をみて、未来への記憶としてください。
ぜひ皆様のご参加をお待ちしております。
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【活動期間】
12月23・24・25日
【集合場所・解散場所】
12月23日(金)8:00盛岡駅東口集合
12月25日(日)20:00盛岡駅解散
【活動先】
岩手県岩泉町・田野畑村・宮古市の被災地および仮設住宅
【活動予定内容】
①織り織りのうたプロジェクト支援活動
②仮設住宅でヨーガの集い活動
③仮設住宅での支援活動(要望聞き取り、設備品調達、図書整備など)
④仮設店舗での支援活動(要望聞き取り、今後の振興企画)
⑤被災地視察(宮古・田老・小本・田野畑)
*現地状況や参加希望により分かれて活動します。特にヨーガや織り物ができなくても構いません。
【宿泊先】
岩手県岩泉町 あっけら館
【参加費】
参加費:ひとり8000円 宿泊費2泊・食事付き(2日目朝昼付き3日目朝昼付き・夕食別途)・レンタカー代含む
交通費:盛岡駅までの交通費は別途
*注意:盛岡駅集合・解散になりますので盛岡駅までの交通手段はご自身で手配してください。
http://www.bushikaku.net/
(例)高速バス新宿22:45→盛岡6;00 片道¥6000
(例)高速バス盛岡23:50→新宿7;00 片道¥6000
【参加費の支払い】
振込または現地支払が可能です。
振込先;ゆうちょ銀行 記号10060 番号77892511 ハヤノトモコ
【持ち物】
動きやすい服装とリュックまたはバッグ
(帽子・作業しやすい防寒着・雪道滑りにくい靴・手袋・マスク・着替え・洗面道具・マイ箸・椀・皿・健康保険証・運転免許証・寝袋(あっけら館の布団は5組までです)、その他作業で必要な道具など
*岩泉町の気象情報をご確認ください。朝晩相当冷えます。重ね着できる衣類をご用意ください。
http://tenki.jp/forecast/point-282.html
【お願い】
ボランティア活動保険に未加入の方は、各自お住まいの市町村の社会福祉協議会でボランティア活動保険天災Aプランに加入して下さい。(個人負担)
活動中の万が一の事故補償費用です。
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【申込締切】12月11日までに
以下のメールアドレスまでご返信ください。
infokokoronohi@gmail.com
*バス予約はお早めに!
ご希望の方はバス予約だけ先に済ませてください。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
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【仮設文庫から本の募集】
冬に入り雪が降ると岩泉町では住民の移動が難しくなります。
そこで仮設住宅集会所の図書に本棚を増やし、図書を充実させようとしています。
仮設住宅文庫にふさわしい本・絵本を募集しています。
岩泉町の仮設住民は50〜90歳の方がほとんど約150名です。小中学生は約15名。
*何冊でも構いません。ご提供いただける方は是非、事務局までメールをください。
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【織り織りのうたプロジェクト古着・古布募集中】
要らなくなったTシャツなどがありましたら、岩泉支部へお送りください。
はっきり言って足りてません!まだまだ必要です。
Tシャツなどの綿や化繊が、程々の厚みがあって織りやすく具合が良いです。
ハサミ等で容易に帯状に裂ける布が適しています。その他、色柄物の布地など大歓迎です!
(ただしタオル地はハサミで切るとほつれてしまうので適しません)
【支援物資募集中】
また、裂き織り材料だけではなく、 寒い冬に向けて支援物資の冬物衣類も同時募集です。
防寒着
ウィンドブレーカー
冬物衣類全般
マフラー、ストール、ショール等
手袋、あたたかい帽子
男女とも長袖下着類(新品)
厚手の靴下(新品)
ジャージ
岩泉町仮設住宅は高齢者が多いのでゆったりめのものがよく、
下着靴下以外は、きれいに洗濯してあれば新品でなくてもかまいません。
送り先:
027-0501岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉村木22−1
TEL0194-22-3969
糸ばた工房
和久石タイ子 宛
*箱に「織り織り材料」または「支援物資」と明記してください。
*送料はご負担をお願いいたします。
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フォローをおねがいします。
織り織りのうたプロジェクト
Twitter:@oriori_no_uta
Twitter:@hayano_isho
Twitter:@Tryambakam_Yoga
(vol.3の続きです。)
田老に到着です。
4月と5月に訪れた田老のグリーンピアへやってきました。
早野は久しぶりにやってきたのです。
5月以降、活動の拠点は小本となり、そこでの時間を育むことを丁寧にしてきましたので、
残念にもこちらまで脚を伸ばす時間を設けることができなくなっていました。
この田老「グリーンピア」の避難所はニュースでよく放映されていたようです。
大きな体育館《アリーナ》に500名以上の方がま隠しの敷居で区切られ生活していました。その頃、アリーナの一角でヨーガを実践させていただきました。
しかし…以降は『東北にこころの灯をともす会』の視察チームらは、視察で毎回訪れていましたが、私は直接小本入りしていたため、田老を訪れていなかったのです。
半年ぶりの田老です。
!!
驚きました。
こんなにたくさんの仮設住宅を見たことがありません!
アリーナから、仮設住宅に移ったのですね。
それにしても
ひろ〜い駐車場に、びっっ・・・しりと。。。
一棟が5件、それが8棟と縦に3〜4ブロックです。
ぎっしりです。
写真ではわかりませんが、このグリーンピアの広い敷地内には、
もうひと集団というか部落というか…同じような集合住宅棟があります。
かつてテニスコート15面あったところに、やはりたくさんの仮設住宅が建てられ、多くの方が暮らしていました。
ここ、グリーンピアは本来パターゴルフ・グランドゴルフ場にテニスコートと充実したスポーツ施設。そして遊歩道に宿泊施設と、誰でもが一日中、あるいは宿泊で楽しめるよう企画、建築されたのでしょう。
現在は全ての施設が被災者のためのタウンになっているようでした。
クラブハウスなどは、被災者の文化活動の場として使われていました。
我々の活動と同じように、『被災者に仕事を!』と
【婆っぱの手】(ばっぱ=おばあさん)とうたって、編み物や小箱作り、小袋作りといったさまざまな手仕事を仕事にしていただこうというサークル活動がはじまっているようでした。中心としてまとめられている方にお会いしたくなり、活動場所のクラブハウスに行って見ましたが、今日はお休みのようでした。いつか、お会いする機会があるでしょう。
大槌の刺し子プロジェクト
さをり織りの三陸さをりプロジェクト
田老の婆っぱの手
そして織り織りのうた
被災地の仕事支援プロジェクトで繋がってゆく日がくるでしょう…。
グリーンピアを入ってすぐの駐車場に『商店街』ができていました。
小本地区に9月に完成した『みらい商店街』と同じように、かつて店を経営していた者らが奮起しての立ち上がり、思い募らせてのOPENだったでしょう。消費する側にしても、「便利になるなあ」と、皆が願って、こうして形となったのでしょう。のぼりの旗のパタパタといった音が短調に響き、いつでもそうしているよ、と微笑んでいるようでした。
小本地区と違って(比較してはいけませんが…)
プレハブは2階建て!
外からだけではなくて、
中も通路でつながっていて、雪など寒い寒い日はデパートのように、店から店へ移動できるのですね!
公文がある!!!
美容院がある!!!
山崎パン 箱石 OPENとあります。
あれだけたくさんの仮設住宅です。
被災前にいろいろなお仕事をされている方がいらしたのでしょうね。
商売を行なっていた方も集まれば大変強い、頑張りの力になりますね。
田老は元気!
小本地区もがんばれ〜!
…小本は100名。少ない人数ではないですが、ことを成していく大きな力への集合としては少し不足のようです。年齢も高齢者が多いのです。
う〜ん。どうにか元気にしてあげないとっ
さ、小本へ向かいます!
いつもなら午後には到着しています。
今月は、久しぶりに被災地を廻っていますので、3時頃になってしまうかなあ。。。
田老のここで、今ちょうど昼過ぎ。
昼を食べさせていただくことで支援しよう!と、商店街をウロウロする我々。
すると・・・
ちょうどこの日、名古屋から、キューピー3分クッキングの宮本和秀先生(1980年から講師をされているようです)が炊き出しにいらしていました。「どうぞ食べて行ってください」ということで。ごちそうになりました。
宮本先生と握手もしました?!
ありがたい。
そしてみんな、歩いているんだと確信しました。
きれいな紅葉が飛び込んできました。
昼食をごちそうになり…
『本当にごちそうさまでした。そして、皆様のあたたかな活動に合掌です。』
田野畑のハックの家へ。
こちらは障害者施設。
織り織りプロジェクトに協力賛同してくださった織手として、力つよく支えとなるだろう場です。
しかし、代表の方が、なにせご多忙で、現実にはまだ仕事に携わることができていないのです。お話を・・・と伺いましたが。残念。留守でした。
そしてまっすぐ小本へ。
14時40分 小本到着。小本役場へご挨拶をし、ちらしを配ります。
100世帯に1件1件、顔を見せていた抱き合いながらの配布。
16時 小本出発
16時30分 岩泉役場で挨拶。すっかり遅くなりました。これから岩泉団地にも、明日のお知らせも含めたチラシを配ります。すっかりあたりは暗くなってきました。
17時 お知らせのちらし配布終了です。
糸ばた工房へ。東京から、たくさんの荷物が届いていました。みなさんからの物資です。物資やら、おりの材料やらで工房はダンボールだらけです。タイコさん(工房をきりもりされている方です)は腰が悪いので、私達が活動に伺った際に、一揆に掃除です!!
17時半 あっけら館着。
「はいっ、ほいっ、それっ・・・」と、なかなかいいコンビネーションの二人。
ヨーガのおかげとは言え、なかなか怪獣!?な二人です。
たまげた体力です。
一息といきたいところですが、智子は小本団地へ夜ヨーガに出発。小林真樹子さんはたくさんの物資を仕分け、明日の物資配給の準備です。
明日の朝は、岩泉団地の方があっけら館に来るという初めての企画。徒歩10分です。早朝に朝ヨーガ、インドの朝食。そして物資の配給です。