学習会がありました。
成瀬貴良先生はいつも「質問はありませんか?どんなことでも結構ですよ。」と合間でわたしたちへの時間を与えてくださいます。
どう返せばいいのかと思うかもしれません。「こんな些細なことでいいのかな」「こんなことを聞くのは恥ずかしいな」と言うふうに。
オウム返しでも良いのです。心にこだまのように響く、繰り返されている印象を復唱することで良いと思います。与えられたきっかけにただ向き合っていくとき
宇宙の空中ブランコ。
その自然な反動から、また次の振り子が生まれていきます。
Tryambakam Yoga Center
t..hayano
今日は会員のHさんが
頼っている貴重な野菜を分けてくださいました。
長野で80を過ぎた母が元気に耕作する無農薬の貴重な野菜です。
Hさんは発病した病と戦い続けています。もうかれこれ何年でしょう
…Hさんはたくさんの戦友、仲間に囲まれ頑張っていらっしゃる方です。わたしも助け、応援したい、ともに戦いたいお一人です。
ヨーギーにとって食べるものは
楽しみ合う間柄なんかじゃありません。
楽しみも喜びも、苦しみも、違和感も…すべてと向き合ってきた結果の戦友です。
与えられるもの。それはすべてにおいて。
与えられるものは食べもだけではありません
サプリメントや化粧品、衣服や道具、言葉や空気、光や音、またご縁をいただいた周りの人たちに至るまで、
すべてが向かうそれに打ち勝っていくための支えの戦友。
ヨーガの実技実習の修練がなされると
ポーズのあとの影響を理解します。
リアクション(反応)を瞑想することが日常においても常になり日々のすべてがヨーガとなるのでしょう。
入れるとか、与えられるものに対する理解は、さらに広がり、伸びます。
自身から発する行為へと拡がるのでしょう。どんな姿がよいのか、語りはどうするのか、どう歩けばいいのかと。
ですからヨーガは道なのでしょう。
頭で理解され、善きアクションが結論づいていても、できない。
悪いとわかっていてもそれをしている。
その繰り返しなのです。
hari om tat sat
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先週は岩手は盛岡校の様子を見に岩手県へ来訪。
【織り織りのうた】手織りマットの仲介人としての仕事もありました。
盛岡〜岩泉〜オモト 盛岡シティーから山へ、三陸の海へと2時間半の道のりです。
秋の実りをいただいたり、買ったりしてきました。
わたしたちはスーパーで買いますが、
土地の人たちは、その年の収穫、恵みをいただきます。
今年は椎茸が豊作で、海の昆布はとても細かったとか。
良いものばかりを追い求める私たち都会の人間にとって、
自然が中心で生きるという意味がなかなかわからないかもしれませんが、
今年をいただきましょう。
わたくしにとっても豆や野菜は毎日のエネルギー源ですから(笑)
いっしょにいただく。共に大地のうたを奏でましょう〜
織手の三浦久米子さんが耕作した大根やかぼちゃ
昆布に 地元のこうじやはちみつもお持ちします。
織り織りの活動報告はまた近日に♪
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医院に毎週の習い事のように通われる方を見ます。聞きます。
処方箋の薬の入ったビニール袋。
下記はインドのヨーガの先生から聞いた話です。
ひとつの教えを守り通すこと
一人目の医師から処方箋をもらい、二人目の医師からは別の診察を受け、そして結局は三人目の医師からは自分の「葬式」をもらう、という話があります。
同じように、たくさんの教え(グル)を持つとどうすべきか分からなくなってしまいます。
ある教えはこうです「ソー・ハムのジャパを唱えなさい」。
別の教えはこう言います「シュリー・ラーマのジャパをしなさい」。
また別の教えはこう言います「アナ―ハタ・チャクラの音を聞きなさい」。
これでは当惑するだけです。ですから一つの教え(グル)に付くことが大切なのです。一つの教え(グル)に従い、すべてのことに耳を傾けなさい。そうすることによって急速な精神的成長を遂げることができるのです。
こちらもお読みいただければ♪→Begin Each Day 9