長閑(のどか)にも終わりがあって
終わるとき願うと始まります。
終わるとき願いを祈って準備するなら続くでしょう。
モ〜ゥ 明日も美味しい草が食べられるといいなぁ
おいしいミルクを出せるよう〜
糞もいっぱい出て土地は肥え、燃えるよう
燃えれば 雲になって 雨がふるよう
雨が降れば育つよう
育てばもりもり食べられるよう〜
にっこりの人はいっぱい力を使って世話をやいてくれるよう〜 モ〜ゥ
終わるときにいつも継ぎを祈りましょう!
いつも別れのとき先生は尋ねて来ます「継ぎはいつかな?」
それを思い、そこに準備を向けることを教わりました。
ヨーガの終わりに
仕事の終わりに、
今日の終わりに、
一週間の終わりに、
月の終わりに、
一年の終わりに、
一生の終わりも、願いを持っておわりたいものです。
気づかず寝落ちのわたくしのつぶやきでした(笑)
こちらもどうぞ→Begin Each Day 8
身体は大地。森。海。あらゆるものを産み、育み、誰にでも平等に恵みを惜しみなく与え、
また、すべてを知っているのに何ごともなかったようにすべてを受け入れます。
ハタ・ヨーガ実技のはじまりで最初に坐るとき、
今日も授かることのが、偶然でも出来た時間と場に合掌礼拝。
整える姿勢は、恩恵へのせめてもの礼。
クラスにやって来て受講する皆さんが、まるでそれぞれが持つ係のように
仕事を見つけて教室を整えてくださいます。
そして そのしめくくりは自己の姿勢を見つめてはじまっていきます。
時間の流れとともに起こる絶え間のない連続する変化や響きは
ヨーガの恩寵によって善き気付きへ、そして社会の中で暮らすあなたのバランスへ広がるでしょう!
こちらもお読みいただければ…嬉しいな→ Begin Each Day 7
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t..hayano
もしも皆さんが開催者だったら…なんと応答されますか?
今日は学習会でした。
成瀬貴良先生ご解説の『バガヴァッド・ギーター』でした。
開催者のファイル、記録管理は必携項目です。
その公開(配信)となれば、それは平等で、喜びになり、安全なシステムを整える能力が備わったときなのかと。
喜びがあり、互いを高め合う集まりをサットサンガと言います。
人の集まりをジャナサンガと言い、これはヨーガを弱めるものです。
悪い否定的な集まりをクサンガといいます。
望むものは何でも手元に届いたり、見聞きでき、傍で触れられているような時代です。
私たちはそれがどんな交感(結合・サンガ)なのか、任されていることを忘れてはなりません。
集りでは
内容が理解ができるようになったらそれで良いのでしょうか?
実習ができるようになったらそれで良いのでしょうか?飽きたら次で良いのでしょうか?
その集まりの目的は学びの経過で経験することを力にそて互いを高め合い、分け合って歓びの活動へと広げる可能性力の叡智を伸ばすことです。
そうした働きの行為を期待してヨーガはいつもわたしたちに語りかけているのではないでしょうか。
え〜(笑)結論は…
録画再生は集まったひとの熱意でいつでも再生されると思うのです。
目を閉じれば紅の葉は目の前に現れます。
葉は動くことができませんが、人は染まった熱意で行動することができます。
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t..hayano
わあぁ〜い😝
今日は会員みなさまにも、ひとつずつかなぁ(笑)
実家の柿がいつものように届きました💓
あてにしてはいませんが、スーパで並ぶ柿を横目に止めるも買わずにいました(笑)
先日会員のMさんが
「この頃はどれがいいのか…安いとかポイントとか良いように言ってサービス料を知らず加算されていたり(;´д`)トホホ…」と。
ガスや電気、光熱費のことだったか。
昔は何にでも暮らしに関係性があったのでしょう。
縁(円)があって。
町も仕事が家柄で。通りは家族のようで、互いの仕事でひとつの暮らしが成り立つような町並み。
さて、さて…グローバルという名の貧困だと、地域化ローカライゼーションも言われますが、
どのみち、一人ひとりの実感ある実際生活の内での関係性の存在です。
今日読んだ言葉もそう。礼という自然の心により、いつも満足です。
こちらから→ 20201104 wed
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tomoko hayano