気分が少し落ち込んだ時、食物からの力が助けてくれることもある。
生命力、体力、健康、幸福感、食欲を増進する食物、また風味があり、脂肪に富み、滋養があり、心を和ませてくれる食物。
我が家の夕食。サットヴァでしょうか。
指導員:長又美保
その通りです。食事はもっとも容易に私たちの欲求を満たしてくれます。
だからこそ、よく注意して節度をもっていただくべきものです。
とても美味しそうで、色もきれい。野菜中心の食事ですね。
そう、こうして先ず目で頂いているのです。味や内容ではなく、それまでの気分や気持ちは目から飛び込んできた全く予期せぬ情報に、否応なしに影響を受けています。
人生には多々困難なこと、成し遂げられないことが繰り返されるものですが
「食べる」という行為は、現代ではかなり容易に意図も簡単に早く手に入りやすいです。そして、口に入れた途端、みたされてしまうのです。
上記にあるように、気分が少し落ち込んでいたら緩和してくれるでしょう。
いらいらしていたら、いっぱい食べてしまうかもしれません。
楽しい食事はずっとこの時間が続いたらいいと思いますし、明日もそんな食卓を望んでいきます。
そう・・・
目から、匂いから、味から、そういった感覚で、それまでの心は覆いをかけられように変化し、満たされてしまうのです。
だから食べ過ぎぬように、食事は質素がいいのです。
加えて静かにいただきましょう。
できるだけ、本来の心を覆いかくしてしまうようなことをせずに、静かに少しいただきましょう。
それが「食事」というものとのよい関係です。
一筆まで。
前回に続き、『グルとは?』の項の一部「グルデーヴの弟子に対する考え」と「そのときが来るまでグルは必要ありません」をご紹介いたします。興味をもたれた方は『シヴァーナンダ・ヨーガ』をお読みください。
グルデーヴの弟子に対する考え
インドの旅をしていると、「わたしはお前のグルだ」と言って近寄ってくる大勢の人に出会うと思います。
しかし、グルデーヴはそのようなことは一度も言われたことはありませんでした。その代わり、時どきこう言うことがありました、「お前は私の弟子だよ」とか「彼は私の弟子だよ」と。
現在、このシヴァーナンダ・アーシュラムにいる年配の弟子たちの中には、グルデーヴから、次のような手紙をもらった人が何人もいると思います。
「わたしは確かにあなたを愛しい弟子として受け入れました。わたしはあなたに奉仕します。あなたを導きます」
グルデーヴに「わたしは確かにあなたを愛しい弟子として受け入れます」と言われたとき、あなたはきっと、グルデーヴに自分の気持ちをもっと率直に伝えればよかったと思うでしょう。それはグルデーヴが望んでいることでもありました。
グルデーヴ・シヴァーナンダに尊敬と崇拝を込めて、わたしはここで皆さんに言っておきたいとこがあります。それは、グルデーヴは単に弟子を励ますつもりだけでこのように言ったのではなく、実際、心から本当にそう思っていたのだということを。
このことからも分かるように、グルデーヴは、グル・ビジネスなどとうの昔に捨ててしまっていたのです。グルデーヴは自分のことをグルなどとは決して思っていませんでした。自分のことよりも、いつも弟子のことを考えていたのです。
そのときが来るまでグルは必要ありません
その人をグルだと思うのは弟子のほうではあって、グルは弟子がどう思っているかを知る必要はありません。
あなたが「あなたはわたしのグルです」と言うことはあっても、グルがあなたに「わたしはお前のグルだよ」という必要はないのです。
いつかあなたも、ある聖者のところに行って「あなたはわたしのグルです」という日が来るかもしれません。
しかし、それを言うときは、グルから言われたことをきちんと行える準備ができたときであって、自分の精神性がある程度成長するまでは、公然と「わたしはあなたの弟子です」「あなたはわたしのグルです」などと言ってはいけません。
自分にそのときが来るまでグルは必要ありません。これはとても重要なことですので忘れないでいて下さい。さもなければ、」さまざまなトラブルに陥ることになってしまいます。
たとえば、あなたがだれかに会いに行ったとしましょう。その人はあなたの背中をさすりながらこう言うかもしれません。
「おぉ、あなたの顔の周りから光りが輝いているのが見えますよ。きっと三か月以内に悟りに達するでしょう」
するとあなたは気分を良くしてこう考えるのではないでしょうか。
「あぁ、あなたこそがわたしのグルです」
しかし、その人があなたに「台所からミルクを取ってきなさい」などと命令したならば、あなたはきっと気分を害してこう言うでしょう。
「あなたはなんというグルなのですか。もうわたしのグルではありませんこれでお終わりにしましょう」と。
こんなことでは、ほんとうの師弟関係とはいえません。
全身全霊で弟子になりなさい
これは,「ヨーガ・ヴァシシュタ」の中でも言われていることですが、ウルデーヴはいつも「グルの助けなしには悟りを手に入れることはできません」と主張されていました。
しかし、グルになりたいと思っているスヴァーミーたちには、よくこう言っていました。
「気をつけなさい!グルになんかならないほうがいいですよ」
一方ではグルを持ちなさいと言い、一方ではグルになどなるなと言うのです。これでは、グルは必要なのに、グルになる人などいなくなってしまいます。これでは混乱してしまします。どうしたらよいのでしょうか。
グルデーヴは言っています。
「まず、あなた自身が弟子になることです。頭の先からつま先まで弟子になることです。そのときにこそきっと、グルに巡り会うことができるでしょう」
1947年のある日のことでした。そのころ、アーシュラムに南アフリカからやって来た若者が二、三ヶ月ほど滞在していたのですが、その男がオフィスにいるグルデーヴのところにやって来て挨拶をしたと思うと突然、泣きはじめたのです。グルデーヴはこれ以上はないと思われる愛情と思いやりを込めてその男を見つめました。
男は言いました。
「スヴァーミージー。わたしは今日、ここを出て行かなくてはなりませんが、アフリカに帰った後、どこに行ったらあなたのようなグルに会えるでしょうか」
するとグルデーヴの表情が急に変わり、意味ありげな茶目っ気のある微笑みを浮かべると、こう言いました。
「ほう、アフリカではグルを見つけられないと言うのかい」
グルデーヴは彼の眼をじっと見つめて言いました。
「いいかい、よくお聞き。グルを見つけることは簡単なことなんだよ。弟子を見つけることのほうがずっと難しいんだよ。」
あなたがあるグルの弟子として生まれたのであれば、必ずその人に巡り会うことができるでしょう。
わたしたちは、1944年にこのアーシュラムに来たのですが、そのときはじめてグルデーヴ・シヴァーナンダや他の人たちにもお目にかかりました。グルデーヴは何とも言いようのない歓びや安らぎ感を放っていました。わたしたちは周りを見回しました。そこには、わたしたちが安らぎや幸福や繁栄になくてはならないと思っていたさまざまな物質的なものが皆無だということに気が付いたのです。ほんとうに、まったく何もなかったのです。朝にいただく一杯のチャーイが天上の飲み物*「アムリタ」のようでした。
このような質素な生活をしているこの人たちが、どうしてこんなにも笑顔を絶やさないでいられるのか。どうして歓びを放っていられるのか。このような生活に導かれたものはいったい何なのか。わたしはとても不思議に思いながらも、すこしずつ何かが分かってきました。でも、それは簡単に言い表せるものではありません。そして、グルデーヴの眼を見たとき、この方は本当に悟りを得た人であるということが分かりました。それはもう、それだけでわたしたちをつつましやかにさせるのに十分でしたし、この方について行こうと思わせるのに十分でした。
真実は言葉ではつたえられません。真実はいつも、言葉にならないものによって伝えられます。たとえば、わたしがいくら口ではあなたたちを怒っていると言ったとしても、本当に怒っていないのであれば、そのことは相手にも伝わります。反対に、だれかが怒りをおさえて微笑みながら何かを言ったとしても、怒っていることは分かります。
言葉によらないコミュニケーションだけが真実を伝えることができるのです。真実は言葉だけでは伝えられません。言葉による知識や情報に関することはアーチャリヤの仕事です。言葉を使わないで真実を伝えるのがグルの仕事です。
霊的な面において、すべての人、あらゆるものを自分のグルのように尊敬することは最も大切なことです(このことをうまく説明するのはとても難しいことですし、それを理解するのはもっとも難しいことです。)これが完全なものになれば、あらゆる場面で、すべてのものがグルであるということに気づくでしょう。黄や赤の衣装を身に着けていようと、緑の衣装を身に着けていようと、グルデーヴはいつもスヴァーミーでした。
いや、すべての人がスヴァーミーなのです。*バガヴァンなのです。女神なのです。こういう心境は、この訓練が完全なものになるならば、きっとあなた自身のうちに現れるでしょう。そのとき、宇宙全体があなたのグルになるでしょう。
*アムリタ:甘露。不老不死になる液体。
*バガヴァン: 尊者。聖者。神聖な。
コメント:人は普通、より素晴らしい知識を持った人のもとでより深く学びたい、そう考えるかと思います。ですが逆に、そうでない人からは何も学ぶことは出来ないのでしょうか? 私たちが何かを学びたいと考えた時、毎回すばらしい指導者に出会えるとは限りません。今回の章で、アーシュラムに来た若者が帰国する時になって、自分の国にはグルがいないと嘆き悲しんでいた場面がありました。それに対し、シヴァーナンダさんはアフリカではグルをみつけられないというのかい?と茶目っ気たっぷりにおっしゃっていた内容が心に残ります。良い指導者がいないと嘆き悲しむこともできますが、どんな人であろうとその人から何かを学びとろうと心を開くことも出来るはずですよね。きっと、どんな環境であっても自分の心ひとつなのですね。今回の章で改めて気付きをいただきました。
コメント:コミュニケーションは言葉で取るものと思いやすく、言葉のないコミュニケーションは伝わらないのではないか。。。とつい思ってしまします。真実は言葉では伝わらず個々の内側にある神聖なものが現れた時、或いはシヴァーナンダさんのようにその存在自体が物語っているのでしょう。真実を見つめる眼(tryambakam)を誰もが持っているのならば、それを目覚めさせる為に共にヨーガをしましょう。サンガをしましょう。キールタンをしましょう。礼拝しましょう。
【2月の特別講座】
《キャンドルナイト・ヨーガ》(毎月1回 第2水曜日)
ヨーガは波動そのものです。
日々の明かりから、炎の揺らぎへ。地球にやさしい…
ヨーガへの深まりは高くなります。同じ空間なのに、
キャンドルの優しさでしょうか?
心地よい安らぎへと導いてくれるでしょう…
日時:2月13日(水) 18:00~「夕べのヨーガ」
19:30~「夜ヨーガ」
上記2クラスがキャンドルナイト・ヨーガになります
《座学『バガヴァッド・ギーター』》
『バガヴァッド・ギーター』=神の詩を学びます。
人類を導くために、主なる神(クリシュナ)が一個人としてこの地球に出現され、神自らがこの心理を語っています。私たちに大きな恩恵を与えてくれる大切な神のことはが残されています。日々の生活に活きる。清らかに生き術がここにあります。
日程:2月1日(金) ※毎月第1金曜日
時間:10:00~12:00
場所:エコルマ会議室(又は公民館)
講師:早野 智子
費用: 2,500円/1回 または6,000円/3回
申込み:メールまたは指導員まで
info★tryambakam.jp
(★を@に置き換え下さい)
《成瀬貴良先生の代々木八幡クラス》
Y.L.S.グループの顧問講師でいらっしゃる成瀬貴良先生。先生の教室『ヨーガ・サンガティ』の代々木八幡教室が、1~3月の間再開することになりました。※振替対象のクラスです
どうぞ、貴重な成瀬先生のクラスを受講されてみてください。
指導員、研究生も受講しています。ご一緒にいかがですか?
日程 :2月1・8・15・22日(金)の4回
時間 :19:00~20:30
場所 :代々木八幡区民会館
(小田急線代々木八幡駅より徒歩6分)
【住所:東京都渋谷区代々木5-1-15/
電話:03ー3466-3239】
受講料:2000円/1回
※振替される方はご連絡をお願いいたします。
※受講料金は1回ごとになります。(振替の方は無料)
※畳の部屋での実習のため、ヨーガマットは必要ありません。
Yoga友の輪(ヨガとも)
会員皆さまの『わたしにとってのYoga』を教えていただきます。
ヨーガは素晴らしい!生きる叡智です☆
Vol.10 火曜朝ヨーガ在籍:花崎 真佐代様(ヨーガ歴4年)
今から丁度4年程前、体験クラスで私が受講したのは確か「瞑想」のクラスでした。
先生のご指導に従い目を閉じて、明るい野原や緑の林などをイメージしたのを覚えています。60分位の時間だったと思いますが終了した時、心がとても穏やかになっていました。家に帰ってからも家族に対して優しい気持ちになることが出来ていました。たった一度の体験でこんな気持ちになれて驚きでした。
その後、ハタヨーガのクラスに入学し今に至っています。今では私にとってヨーガはなくてはならないものです。昨年の秋、膝が痛くなり思うような姿勢がとれなくなってしまいましたが、リハビリの結果かなり良くなりました。
いつまでもヨーガを続けていきたいです。今後共宜しくお願い致します。
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コメント:普段、無意識にしている呼吸や自分の身体に意識を向けてみると粗雑さに気付かされます。一日のうちでどれだけ自分の心と向き合う時間があるのでしょう。時間の流れはとても早く、あっという間に一日が過ぎ、一週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、一年が過ぎてゆき・・・自分の心や身体に意識を向けて丁寧に一瞬一瞬を過ごすことの大切さを深い呼吸や瞑想、ヨーガ・アーサナが教えてくれるようです。