過ごしやすい日和が続くの5月の連休。
ヨーガの仲間でオンライン合宿をしています。
早朝から一日中をヨーガとして過ごすヨーガ三昧です。
六日目を終えました。瞬く間。
日常のあらゆることから学ぶことができます。毎日、その瞬間から学んでください!(Swami Sivananda)
質疑応答を紹介しています。
Q. シヴァーナンダさんの20の教えの中には「ニンニク、油、マスタード(その他様々)を控えなさい」とありますが、今日いただいた教材には「マスタード、油、ニンニク などは消化を助ける」とあります。どのように考えたらいいでしょうか。マスタードもニンニクも好きですが、サーダナの間は控えたほうがいいのかなと理解しておりました。油は調理上使うので無くすことはできないのですが。
?
(食べるものに関する講和録からの質問)
A. 消化を助けるもので、控え目に と思っていました(笑)。
食べるものに関して応えるとき、即答、一斉はなかなかできないものです。
その人が食べるものを通して何を知りたいかわからないからためです
・ 治療や健康回復としての食べ物なのか
・ 滋養や強化をしたいのか
・ ダイエットや痩身目的(日常生活改善)
・ あるいは精神性の向上を目指す中でのことか
など、尋ねる理由はさまざまです。
ここでは熱心にサーダナをされているIさんですから分かりましたっ(笑)
油にもいろいろあります。最近ではプラスチックみたいなオイルがほとんどかもしれません。
むかーし昔から、日本でも植物油は貴重でしたし、オイル(火を灯したり、暖を取るための)も必要で貴重でした。
人々は採れる土地をたたえました。貴重だということは、使うということです。大量生産になっておかしくなりましたね。
プラーナーヤーマの後はミルクを摂ります。プラーナーヤーマで使った内臓は通っています。内部に膜を塗るような意味で摂ると書かれています。
また、舌の浄化の後は舌にギーを塗ります。
わたしたちは油分は嫌われ者ですが、それはオイルを好みとして食べるという考え方です。
インドでは、摂取するというより、円滑に、浄化として摂る風な捉えのようですよう。
調理もカレーにはギーを使いますが、それは味付けとしてではない使い方です。
わたしたちはオイルを摂る、オイルの風味、コクを付けるという風ですが
ヨーガ的に考えると、油分によって他の食物の円滑な消化、浄化のために摂るのでしょう〜。
ナマステ〜 🙏
Tryambakam Yoga Center
Hari Om tat sat !
ॐ
過ごしやすい日和が続くの5月の連休。
ヨーガの仲間でオンライン合宿をしています。
早朝から一日中をヨーガとして過ごすヨーガ三昧です。
五日目を終え、半分があっという間に過ぎました。
どんなことも何かのヒントやきっかけとなるものです。
質疑応答を紹介します。
疑問や感じる心、それは経験していることからの賜物で「宝」!
K.SさんQ. 体調によって瞑想が上手く出来ない事もあるのでしょうか?
A. 体調は瞑想に影響を及ぼすかどうかという質問です。
すでにKさんは体調が日々変わること知っておられ、
また、変わる体調を作り上げているのもご自身の行為(思考も含めて)ということもご存知で、
さらに、影響を受ける経験も影響するような響きも瞑想生活のなかで排除できるご経験もあるのだと思います。
その上でご質問されているのだと思います。
影響を受けないことなどあり得ません。
この世界に存在するすべては、陽の昇りとともに、明るさとともに、性格を(三要素のグナ)を強めて現れて来るものです。
影響を受けながら瞑想をし続けるとき、
心の近くで響く彼のことをよく知って、だんだん分かってきて、友達になったり、さようならをしたりと
時間がかかるのでしょうね。。。
何が影響しているか、知っていくことだと思います。
だから瞑想をするのではないでしょうか。
社会の中で生きるわたしたちは、そのグナを邪気にすることなどできません。
ここで暮らす私たちに与えられている宿題のようなものです。
人間関係、物質関係、自然環境との関係を試されているようなものです。
I.KさんQ. タントラ・マントラって?シャクティ・プラーナって?マナス・プラーナって?
(昨夜のサット・サンガの読みもの[スヴァーミー・サティヤーナンダの講和録]からの質問)
A. タントラ・マントラ
タントラ・マントラとは何か?応答するには、タントラについて少し説明しなくてはなりません。
ヨーガの長い歴史の中で生まれた流派です。
ヨーガに限らず「道」と名づき教えが伝承されるとき、教えの中心、基礎である縦糸、軸のような教えが通っています。だから一つの道なので。
『ヨーガ・スートラ』という有名なラージャ・ヨーガ(瞑想のヨーガの教典)がありますが、名前の「スートラ」は、「縦糸」の意味です。中心となるものです。そして、「タントラ」も同じ「縦糸」の意味があるのです。「スートラ」の方は公、公共といった正統派なら、「タントラ」は秘密の、隠された教えで口伝などで伝承されたような教えといった違いがあります。
日本の文化的な道でも「師匠と寝食を共にして」などというのはそういった言葉では伝わらない教えがあることを言っています。
ですからタントラ・マントラとは、公の、普遍のマントラではなく、個人的なマントラの中の一つでしょう。
タントラの道を歩もうという人が得ることができるマントラでしょう。
シャクティ・プラーナ、マナス・プラーナ
• 呼吸と心との間に、普段は関係性がないけれど、呼吸に意識を向けたとき呼吸は直接心の支配下に入ります。
• 呼吸をするときはプラーナ・シャクティが使われています。
• マントラを唱えるときはマナス・シャクティが使われています。
シャクティは根源的原動力で生み出す力、遠心的に広がる可能性力。
プラーナは中国の「気」。プラーナは呼吸のみならずいのちある生物はもちろん物体にもある根源エネルギー。
マナスとは心のこと、私たちが一つの心と思っているのは実はいくつかの心のうちの一つです。
意識されたとき、音声が起こり、同時に心には経験から印象づけさられている映像を映します。
Hari om tat sat !
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過ごしやすい穏やかな日和が続くの5月の連休。
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早朝から一日中をヨーガとして過ごすヨーガ三昧です。
四日目を終えた中日。明日の朝坐るとき、残す三日間になります。
どんなことも何かのヒントやきっかけとなるものです。
質問があったことをここに書きます。
Q.(早野) 瞑想はどうですか?気持ちよい静けさを体験されていますか?
A. 体系的に瞑想は進めるとありますが…
※この質問はワークショップ【心の浄化ー精神性の日記をつけるー】のときにも話題になりました。
実は、トリャンバカム・ヨーガ・センターで毎週、毎日のようにハタ・ヨーガの授業を実習される会員の皆さんは…すでになさっています!
ヨーガの始まりに
1)姿勢を観察
2)呼吸を観察
3)呼吸に集中
4)呼吸を制御
5)一点観察
しています。ヨーガは瞑想です。
哲学と実習が一つになったトリャンバカムのヨーガは毎授業が瞑想の入口から順々に始まっていっています。
「いつも」繰り返すことが体系的に徐々に段々と向かう実践です。
瞑想を与えられていると実感し、礼拝の心が自然に育まれるでしょう。
向き合うことへの熱は日々の渇望となって瞑想はご褒美のように注ぐでしょう。
ちょうど明日5/5は瞑想のヨーガを『バガヴァッド・ギーター』の第6章で触れます。
Hari om tat sat !
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三日目 が終わりました。
昨日の七名の人たちが早朝からヨーガ三昧をされています。
どんなことも何かのヒントやきっかけとなるものです。
質問があったことをここに書きます。ヨーガ 日和な日々の対話です。
Q⒈ 教典と聖典の違いはありますか?。
A.
あります。
わたしも以前、同じように疑問を抱き、先生に尋ねたり、調べた範囲で以下のように理解しています。
・聖典は
その宗教で聖なる教え、生き方を示した教説で、教徒が読みます。仏教では仏典。イスラム教ならコーラン(クルアン)。ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』。補足ですが、人が書いたものとされていません。
・教典は修行者のために伝えられている聖者の教えで基本となる筋道が一字一句そのまま伝えられている。変わらない教え。
・同じ「きょうてん」でも、経典は、
スートラで「縦糸。経緯。綱要。」の意味ですから、教えの要の文言。経文などです。基本の教えで綱要となる教え。
Hari om tat sat !
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