ハタ・ヨーガというものは
本当にすばらしい『実践の術』だと常々感じるのです。
クラスでも、時々そんな私の個人的な観想を話させていただいていますが、生かさせていただいている、このいのちの、エネルギーの源泉に思うのです。
ですから『実践の術』というのは、
そのテクニックは何にを引き出すのか、と申すと
力です。
生きるということへの力が、エネルギーが
間違いなく
確実に通うのです。
騒がしい力ではなく、
爆発的でもなく
静かです
いつも同じ
保たれた力のような気がします。
カレーを食べると
身体がみるみる元気になるのがわかります。
細胞の変化がわかりやすい食べ物な気がするのは私だけかしら。
今日は月に一度の「ヨーガを深める集い」の日。
ヨーガの思想、哲学に興味を抱かれ始めている方が多いようです。
「解脱ってなんですか?」
そんな質問が出ました。
「この世に生まれた瞬間から
私たちの心は幸福を求めている」といいます。
つまり、幸福を求めるために、外へ外へとそれを求め続ける旅が始まったようなものということでしょう。
・・・同時に、苦悩が始まったということです。
幸せを求めて、思った心が
私たちを苦しめて、
私たちを悩ませて
そしてその悩みや苦しみの中で思考し、
行為となります。
行為は全て思考が生みだしています。
思考の結果が行為で
行為がまた次の苦しみを生みます。
幸福とはなんだ?という疑問が起きます。
「シアワセダナ~」と思っているとします。
それは何でしょうか?
それは永久に続きますか?
永久に続くように願いますか?
そう・・・必ず終わりがあります。
全てにおいて、「永遠」というものは何もないのです。
目に見えるもの、永遠ではありません。
目に見えるもはみな永久にずっとありません。
おカネも
家も
名誉や名声
家族
私自身の肉体も
目に見えない心だって、永遠どころか・・・時々刻々変化し移り変わっています。揺れる海の波のように、一時も同じではないかもしれません。
本当に永遠であることを先ず理解し、無明の智慧を受け
永遠でないものとの識別ができた時にはじめて、
永遠という大きなに幸福へ迎える準備ができたと言えるのではないでしょうか。
そして、これまでとは全く違う旅が始まります。
多くの教典、また聖者の言葉に上記と同等の内容がいろいろの表現で、たとえで書かれ、そして、そこから全てが説かれ始めます。
「解脱ってなんだろう」
先ず、
真の幸福
真実(=実相)、それだけが永遠。
それに気付かれた時、
解脱を求める人々がいるとを知ることでしょう。
OM
ご飯を食べて、
身体に力を送りましょう。
食べるとは、そういうことです。
お借りしているこのカラダ、肉体に
明日へのエネルギーを入れています。
どうですか?カラダさん、今夜は元気になりそうですか?
悪いものではないですか?
*「ヨーガを深める集い」受講希望の方、月のスケジュールをご覧くださいませ。
本当に久しぶり。
学生時代の友人との時間があった今日でした。
いろいろの話を聞きます。
仕事の中でのこと。
一緒に仕事をしている人との中で起こること。
自分の思いが抱く、止まらぬ感情の爆発。
吐き出すことで、随分すっきりとするものです。
話すと8割は解決します。
話してしまうといいものですね。
そして、二人でこうしてお茶していることが、
私はいいな~と思っていました。
「今夜は田舎のご飯です。しみじみ食べて下さいね。」
とメモを残して・・・・いつもながら、智子さんという人は糸がきれた凧です。
今夜は、「凍大根」(しみだいこん)です。
これは、東北ではよくする保存法のひとつですが
大根や餅、豆腐などを
一度凍らせて(冬の雪の寒さの中で自然に凍る)
それを晴れた冬の日に干して
また凍らせて
また干して
と繰り返したものです。
そうした保存食材を、
冬の何もない時期にいただいて繋ぐのです。
今日はそれがあったので、
凍大根と凍豆腐
ひじきも、以前に送られてきた三陸の乾物ひじきです。
凍ってできた時の気泡に
お味がしみ込みます。
とても美味しいです。
質素に暮らす
現代の飽食では
忘れられていますが
こうやって味わっていると
冬のそんな日が見えてきます。
冬の寒い日にそうやっている作り手を思いますと
ありがたくて ありがたくて