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18.10.20

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シヴァーナンダらしいユーモラスな言葉です。
「月々の支払い」をする保険に加入していますか?
「月々の支払い」は心配を保証してくれるものへの支払いですね。
心配だから「月々の支払い」をします。
保証されているのですから心配から無縁が筋なはず。
・・・
・・・
神と共にあるあなたの人生を保証します。
他のすべての保険会社は失敗するかもしれませんが神の保険会社は決して失敗することはありません。


18.10.17

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あなたの瞳は親切で見てください。あばたの舌は甘く語り、あなたの手はやわらかく奉仕をします。

eyes
本当にきれいな目をしている聖者ラーマナ・マハーリシ。他の多くの聖者のようにインド各地の聖地を巡礼したり、布教活動、教えや姿勢を説くことはありませんでした。少年時代を過ごした町と沈黙の行をしたティルヴァンナーマライ寺院しか知りません。しかし、次第に彼の周りに集まる人が増え、弟子もでき、世界中から大勢の人がやってきました。

speak with sweetness
昔から偉人と呼ばれる人は悟った知恵を伝えることに関して熟考され、伝えることにも長けていました。文字が読めない人にも、耳が遠い人にも、生きるために働くことで疲労した人にも、奮闘する人にも、幼い子どもにも、わかりやすいものでした。心には安らぎや勇気、明るさや活力が灯のように広がりました。

ブッタはピッパラの樹の下で恐るべき集中力で心と身体と息は完全にひとつとなり、嵐が去った明けの明星とともに大いなる道を見つけました。その後、これから多くのひとたちに大いなる道を伝えるために旅立とうと決意されますが、数日間滞在します。悟りの種をうまくまく方法を考えたり、喜びに満ちた時間を悟った土地で味わうために。
シヴァーナンダさんの周りには何千という人が集まり、そのやさしく穏やかな口調で話すスピーチに聴き入りました。集まった人の中には英語がわからない人もいましたが、そのやさしい眼差しに寄り添って集まるのでした。

ベンガル地方の聖者ラーマクリシュナは、独特のユーモアと地方のなまり口調で、精神世界の不二一元論をさらりと解き明かす現代にひときわ光り輝く宗教的偉人です。

hand
シヴァーナンダという名前をギヴァーナンダ(give)と呼んだらいいという冗談が飛び交っていたように、姿勢で示す聖者シヴァーナンダのその手はどんな瞬間もやさしく温かなものでした。対人だけではありません。どんなものにも礼拝があったと逸話はたくさんあります。「ペンをこんなにも丁寧に扱う人をみたことがありません。」(『シヴァーナンダ・ヨーガ』)

二つの手。片手じゃなくて、双手で添える二つの手。

今日へ!5日にも挙げたこの言葉を再度つづりたいと思います。

神様はわたしたちに二つの眼と二つの耳を与えてくださいました。
しかし、舌はたった一つしかお与えになりませんでした。
ですから、わたしたちはおしゃべりをする以上に
もっとよく見たり聞いたりすべきです。


18.10.16

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主自身、慎ましく、献身的で、純粋な人の心で、自分の座席を求めています。

seat

 アーサナとは英語でポーズ、日本語では体位、姿勢ですが、サンスクリット語の意味には「坐ること、休息する、住まう」あります。坐法、坐ること、住居です。
 身体の緊張を取るのがアーサナです。日常はたいへんな緊張の連続です。ヨーガのアーサナは頑張ってしたり、挑戦したりするなら、それは緊張です。アーサナをする意味は休息することであり、落ち着いて座ることであり、安らかな安住の土地で暮らす住居のようである状態です。

 いつも謙虚に、献身的に、純粋な心で尽力している人のところに、主は座席を探しているという言葉です。
日常生活は、ちょっと配慮して意識を内側へ向けておかなくては、目に見えるもの、聞こえてくるもの、接触しているものや状況へすぐに覆われてしまうからです。

 ところで、ヨーガとは調和です。二つを調和させる、結びつける、和合という意味です。いったい何と何を結びつけるのでしょう。
古代人はこう考えました。
「馬と馬車を繋いで(結びつけて)神様に降りてきていただく」
そして、その行為、つまり一心に念じる。
まるで馬と馬車を繋いで馬を上手に制御するように、感覚器官や心をコントロールして三昧という深い境地へ入ることをヨーガだと言いました。(カータカ・ウパニシャッド)

 ヨーガとは何か、「これをヨーガと言う」と説明した最初なので、これをヨーガの起源とする説もあります。

 ヨーギー、ヨーギーにのみなさまへ!
 朝のはじまりに、忙しくも尽力したい毎日だからこそ、まずは「ここから」。座席で一服する時間を持ちましょう。ほんの少しでいいからという慎ましく、献身の心で、純粋に向かいます。
 目を開けたら、今日へ!


18.10.15

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苦しみは浄化し、神に向かってマインド(心)は変わります。
*素敵なピタっと訳のご提案!お待ちしております。
 ヒンディーからの解釈によって変わると思います。

ヨーガ、調和。
「ヨーガは自動装置のようなものだ」とスヴァーミーが講話でおっしゃっておられたなぁ〜。
ヨーガのスイッチをON!
ヨーガの集中と同時に浄化が流れるように起こり、本来の純性が顕になるのだと。

集中は…ただひとつ。大いなる母、源、原初、神へ!
階段を登るとき、
山を登るとき、
そこに大地が、道があるように
杖があるように
触れているものがあり支えられています。

ハタ・ヨーガはいま接触していること、身体や呼吸に常に触れています。
触れている
感じている
有る 在る ある
…………

存在している ある が
どんな風に ある と…自動的に体験されますね〜

……

さあ、ヨーガのスイッチをON!
今日へ!