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11.02.14

Category { 食べもの }
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昨日の㈰は『ヤコブへの手紙』を観ました。帰りに岩手銀座プラザで数カ月ぶりの買い物!?こんなに買い物をしたのは久しぶりでっす^^;ひっつみを買いました。さっそくやってみました。ネギが無かったので、イマヒトツカナ? title=

昨日の㈰は『ヤコブへの手紙』を観ました。帰りに岩手銀座プラザで数カ月ぶりの買い物!?こんなに買い物をしたのは久しぶりでっす^^;ひっつみを買いました。さっそくやってみました。ネギが無かったので、イマヒトツカナ?


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・・・三陸の幸というと、アワビやホタテ、いくらを想像しますね。
失礼しました。我が家ではこの程度でございまして・・・。
しか〜しっ!昆布やワカメを侮る事なかれっでっす。本当にすばらしい海の幸さまです。

くきワカメは本当に満腹になります。
想像しました。
2時間くらいたつと、
きっとお腹の中で、ふやけて大きくなってワカメになっているのでしょう。

Om


11.02.13

Category { 食べもの }
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日曜日に『ヤコブへの手紙』を見ました。
語ることの多い映画でした。

役割もなくし、
裸になった時(映像ではヤコブ牧師が肌着姿でした。牧師という役割の衣装も着られない、裸の自分になれた時)に、レイラを救うことができたのです。自然のままになった時、起きた姿なのですね。

私たち夫婦ふたり、
ただただ涙を流し、流し
黙ってかえってきました。

あ、銀座だったので、
主人の田舎の岩手銀河プラザ、アンテナショップに寄りました。
何か、生まれ故郷を思ったのかな?


11.02.13

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朝9時〜瞑想(早野誘導)。10時10分〜、朝ヨーガ実習を成瀬先生にご誘導いただきます。なんとも自然な流れの中で、何もしていなかったような・・・いえ、はっきり変わるのは、その穏やかな心の状態に変化していることです。

朝9時〜瞑想(早野誘導)。10時10分〜、朝ヨーガ実習を成瀬先生にご誘導いただきます。なんとも自然な流れの中で、何もしていなかったような・・・いえ、はっきり変わるのは、その穏やかな心の状態に変化していることです。

朝ヨーガの後はそのままスヴァーミージー・サッティヤーナンダさんの講話を訳した資料を使ってのおはなしになりました。可笑しくも真髄にせまる、考えさせられる時間です。ハリオーム。

朝ヨーガの後はそのままスヴァーミージー・サッティヤーナンダさんの講話を訳した資料を使ってのおはなしになりました。可笑しくも真髄にせまる、考えさせられる時間です。ハリオーム。

毎月第2土曜日を予定しています。openクラスですから、どなたでもお気軽にお入りください。
一応人数制限がありますので、外部の方は一報ください。

さて。サットサンガ講話内容です。
お読みください。

<他人を悪く思うことについて>

 この講演で、スヴァーミー・サティヤーナンダは人の心の働きについての基本的な見識を語っています。その中で彼は、否定的な考えというのは、他人に対する態度を変えることで取り除くことができると言っています。
肯定的な明るい態度を発展させない限り、心の安らぎは決して得られません。そればかりか瞑想をしてもきっとうまくいかないでしょう。これは、1980年9月スイスのジナールでの講演のテープです。

わたしたちが自分自身のことを悪く考えるのは心の自然な働きといえます。また、他人のことを悪く語ったり考えたりするのも心の習慣といえるものです。
例えば、もしあなたの身体から変な匂いがするとすれば、それはあなた自身の身体の匂いです。しかし、それは外に発散されて他の人たちもその匂いを嗅ぐことになります。同様に、もしあなたが否定的な暗い考えをしたならば、それは人への批判やアラさがしとなって表面に表れるのです。

パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』の中に「最も重要なことは心の静けさである」という教えがあります。他人のことを悪く思ったり考えたりしているときは、心には静けさも安らかさもありません。心に静けさや安らぎがなかったなら、瞑想をしても決してうまくいきません。たとえ瞑想において心がしっかりと集中できているように思えても、心の奥底では嵐が吹き荒れ、いつなんどき灯りを消してしまうかも知れません。
心の安らぎを得るには、幸福な人たちに対して友情を、不幸な人たちには同情や憐れみの態度で接しなければなりません。
 徳のある人たちと一緒にいるとき、わたしたちはとても楽しい明るい気持ちになります。堕落した不道徳な人たちと接するべきではありません。
四つのさまざまなタイプの人たちと接するときに、ぜひ試してみるとよい四つのポイントがありますので、詳しくお話ししましょう。
わたしたちは、とても幸福そうな人たちや人生においても成功した人たちを見たときには、いつも嫉妬心を覚えます。それ自体は自然な反応といえます。しかし、ヨーガの教えによれば、このような人たちに対しも嫉妬などしないで友達にならなくてはなりません。
 たとえばあなたが、とても裕福であったり、偉大な学者であったり、有名人であったならば、あるいは子供たちや妻や夫などすべての点において幸福であるならば、他人に嫉妬することなどないのではないでしょうか。もし、嫉妬心など起こせばたちまち心の安らぎは壊されてしまいます。その人の幸せが自分の喜びとなるような友達にならなければなりません。これが第一のポイントです。
世界中に不幸せな人たちが大勢います。病気や貧困や苦痛や苦しんでいる人たちを見たとき、わたしたちはうれしく思うことがあります。そしてよくこう言います「あれでいいんだ。彼らはそれに値するのだから」と。このような考えを持ったとき、わたしたちは自分の心の中も乱していることになるのです。そんなときに瞑想をしたとしてもきっと良いことはないでしょう。これが第二のポイントです。
徳のある人たちが大勢います。彼らは慈悲深く、周りの人たちを助け、慈善のために多くのものを寄付します。そのような人たちを見ると、わたしたちはよくこう言います「あれは本物の行為なんかじゃないよ。周りの人たちに自分たちの偽善的な行為を見せつけたり、印象づけたりしているだけさ」と。 
あるいはこう言うかも知れません「何か悪い方法で稼いだお金だから、きっとチャリティに出しているのだ」と。
しかし、このように言ったり、考えたりすることで、わたしたちは心の根底にある大切なものを乱しているのです。これもやはり瞑想に悪い影響を与えます。このような場合の望ましい態度は、人が善い行ないをすることに対して自分の心の中に喜びを見いだすことです。「彼はこの団体や組織や社会を助けているのだ。彼はとても寛大で慈善的な人だ。自分のお金を正しい目的のために使っている」と。このように考えることができればあなた自身も幸せになれるし、その結果瞑想にもよい影響を与えることでしょう。これが第三のポイントです。
さあ、第四のポイントです。堕落した人や批判的な人や悪人などを見たとき、わたしたちはこう言います「彼らは悪い人だ。彼らには近づくな」と。どんな集会や集まりにおいても、必ず人の悪口を言う人がいるものです。こういう人はいつも不幸であり、異常であり、心がある種の危機状態にあるようです。ある人は実際に悪い人かもしれません。しかし、そういう人たちの悪いことだけをしゃべり続けるのであれば、あなた自身の中にも悪いものを作ることになるのです。もしその人が悪い人であったとしてもあなたには関係がないのです。無視すればそれで済むのです。これが正しい態度、姿勢です。

心の安らぎや静けさを得るために、わたしたちの他人に対する態度や姿勢は正しいものでなくてはなりません。そして、生涯を通してこれらの態度を実践し続けたあるすばらしい人の例をあげましょう。わたしはその人と何年もの間一緒に暮らしていました。その人とは、わたしのグル、スヴァーミー・シヴァーナンダです。
彼はいつもだれかに奉仕していました。それはまるで母親が子供に対するようでした。しかも彼を批判したり、害したり、攻撃したりした人たちにさえもそのような態度で接していたのです。そのような人たちを、スヴァーミー・シヴァーナンダは自分の弟子たちにするよりももっと心にかけていました。
彼の弟子のなかにはすばらしい人たちが何人かいて、グルに対してとても献身的ですべてを捧げていましたが、彼はあまりそのような弟子たちに対して気を使うことはありませんでした。
しかし、まだ未熟で、あるレベルにまで達していない出来の悪い弟子たちに対しては特別な気遣いをしていました。自らその弟子たちの部屋までコーヒーを運んで行ってあげるということもありました。フルーツなどがアーシュラムに入ると彼らは真っ先にそれらを受け取っていたし、いつでも新しい衣服の配給を受けることができました。彼らの名前はいつもリストの最初に挙げられていたのです。アーシュラムで会合やサット・サンガがあると、彼らはいつも特別席を与えられました。スヴァーミー・シヴァーナンダはこのようなことをどんなときにでもなさっていました。
しかし、このような特別扱いをされてもまったく変わらない人たちが大勢いたことも事実です。かつてわたしたち弟子は、そのことについてグルであるスヴァーミー・シヴァーナンダに指摘したことがありました。なぜならばグルの親切な振る舞いにもかかわらず、悪い行為を繰り返す弟子がいたからです。わたしたちはグルに言いました「グルジーの彼らへの振る舞いはとてもとてもすばらしいと思いますが、一向に良くなっていませんよ。彼らにきちんと何かを教えたり指導したりはなさらないのですか」と。 
グルは答えました「ノー」と。そして、次のような話をしてくれたのです。

あるとき、とても良い性格の男の人がガンジス川で沐浴をしていました。そこにサソリがやってきました。サソリを踏ん付けてしまわないために、その男はサソリを拾い上げると手の中にいれました。サソリはその男の手を刺しましたが、男はサソリを持ったままでした。サソリはもう一度刺しました。
この様子をずっと見ていた別の男の人が、その優しい男に言いました「なぜサソリを捨てて殺してしまわないのかい」と。
優しい男は何と答えたか分かりますか。彼はこう答えたのです「サソリが(刺すという)自分の性質を放棄しないのに、どうしてわたしが自分の性質を放棄できるかね」と。
そうです。もしあなたが悪い考えや想いを自分の中から取り除きたいと思ったならば、あなたの性質のすべてを変えなければならないのです。
サット・サンガに参加することによってあなたの性質をすばらしいものに改善することができます。 
サット・サンガとは人々の集まりのことをいいますが、そこでは仲間と一緒にキールタンを歌ったり、ヨーガを勉強したり明るい積極的な実践が行なわれるのです。あるいは聖典や教典を読んだり、毎日の生活におけるさまざまな問題について討論したりします。そして、わたしたちはポジティヴな考えを持つようになるのです。
このサット・サンガの反対を「ク・サンガ」といいます。クとは「悪い、否定的、苦」、サンガは「集まり」という意味です。  
もしあなたが悪い考えや否定的な考えを持った人たちの中にいるならば、それはク・サンガです。
わたしたち人間の持っている本質を浄化するためのもっとも大切なサーダナが、サット・サンガなのです。もし、自分たちでサット・サンガを持つことができないならば、魂を高揚させてくれるような良い本を読むようにするとよいでしょう。
わたしが学生だった頃、よく、トマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』 を読みました。そして、読むたびに何か新しい光を得ていました。同様に、スヴァーミー・シヴァーナンダの書かれた作品も、わたしたちの性質を変えるのにたいへん助けになります。
わたしたちは、ヨーガについて、あるいはヨーガの実践についての本を書きますが、スヴァーミー・シヴァーナンダは人間の性質や魂についての本をたくさん書かれました。
その中に『Mind-Its Mysteries and Control 』 というたいへん素晴らしい本があります。もし皆さんがこの本を読まれたならば、鏡を見ているかのように自分の心を見ることができるでしょう。自分自身を見ることができなくて、どうして自分を正しくすることなどできましょう。自分の性質を変えるためには、自分の裸の性質や心を見なくてはなりません。自分自身のすべての性質の絶対的なヴィジョンを持たなければなりません。
この他にも、一定の必要最低限の善行がなされ発展していかなければなりません。これがすべてのことがうまく行くコツなのです。

佐保田鶴治訳『ヨーガ・スートラ』・平河出版社
「慈、悲、喜、捨はそれぞれ他人の幸、不幸、善行、悪行を対象とする情操であるが、これらの情操を念想することからも、心の清澄が生ずる」(Ⅰ-33)

仏教でいう四無量心
慈(マイトリー)…他人の幸福をともに悦ぶ心。
悲(カルナー)…他人の不幸をともに悲しむ心。
喜(ムディター)…他人の善い行為をともに慶賀する心。
捨(ウペークシャー)…他人の悪い行為に対して善悪も共感も抱かない心。


11.02.13

Category { 食べもの }
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静かな雪降る日曜日になりました。朝はシャッキと冷たい大根にローズマリーを合わせたピクルス風の箸休めをこしらえました。

静かな雪降る日曜日になりました。朝はシャッキと冷たい大根にローズマリーを合わせたピクルス風の箸休めをこしらえました。

「最近の世の中は狂っているう〜」と、その世の中で暮らす人々のが、暮らしている世のことを語っている記事をよんだりします。

今日は、久しぶりっに映画へ!
普通のことかもしれませんね。・・・トホホ・・テレビのない我が家にとって、この誘いはなかなかドラマティックなことでして。「心はわくわくのドキドキっ」となります。
出来事。世の中、そんなに悪く無いですよ〜と感じた出来事です。

切符を買いました。
慣れない切符購入です。いつもなら「パスモ」というものをつかっているので、簡単なのですが、本来の切符購入の手順を目の当たりにした瞬間でした!」
画面の「乗り換え」を選び、それから料金を押すという、なかなかの優れたメカ(切符販売機)だったのですね。現代におっついていない私は昔のように、そのまま料金を押したのです。主人に指摘され。「そうか、なんと機能的なメカでしょう!」と、しかし、しっかり学習してやりなおしっ。駅員さんに申し訳ないけれど、申し出をして、(駅員さん、今度はまちがえませんからっ)と思って、返金を受け取りました。
2度目は自信を持ってニコニコ購入したのです。・・・が、また間違えていたのです。乗り換えの駅を間違えていたようなのです(これは知らなかったではなく、単なる私たち夫婦の意思疎通のズレですっ)。乗り換えの時に「あら、新宿ではなく渋谷で乗り換えなの?」
また、駅員さんのところへ行きました。もう、半分落ち込んでいました。私は切符ごときまともに買えないのだ・・・。しかし、ここからが私の感動です。

事情を言うとどうでしょう。
対応の方が研修生というのもあったのですが、
みるみる、そのまわりに指導担当と思われる駅員さん、そのまた少し上の、先輩の駅員さん、そしてさらに、その駅のまとめ役の方でしょうか。。。合計4名も集まってくださって、ミーティングになりました。
「切符の場合はどうなりますか?」「ひとまず返金ですか。」「いや、一部返金じゃないのか?」「いや、この場合は、買いなおしていただくことになるだろう」「いえ、ご負担かけずに、ハンコでイケませんか・・・」
あ〜申し訳ない私の購入ミスを、こんなに一生懸命にその対策を思考してくださるなんてっ
少し大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私には
「より良い方法を考えるのに、こんなに尽力くださるなんて」
と感じたのです。
よくお礼を言って、最終的結論になった、切符に「乗り換え駅変更」というハンコが押された形になったのです。
最後に
「触るとインクがお着きになりますから、このようにお持ちください。」
とのアドヴァイスまでいただき、私は言われるまま、切符の四つ角を持って、切符の正面を前に向けた状態のまま受け取り、そのまま・・・ずっとそのまま降りる駅まで行きました。(インクが乾かなかったので)

なにはともあれ
あ〜今日は、駅員さんはあんなにも頭をつき合わせてミーティングまでして、
このおろかな
間違えて購入した
愚かな者のためにあんなにも・・・
あ〜・・・駅員さんたちは、いつもお客のいいように事を考えてくださっているのだなあ〜・・・駅員さんカミサマ。。。と思った日だったのです。

それだけなのですが、
長々読んで下さりありがとうございます。

世の中、一人ひとりは人情深いカミサマです。
時に、組織という流れの中で、また、地位や名誉といったことから変形してしまうこともありますが、
本当のところはひとりひとりは自然のままの、人情あるこころがあるということを感じた日でした。

Om


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